(少し重い内容です)


ここのところ、

気分はひっそりと沈んだままで

過ごしている。


11月に入って

ああ、この時期が来たなあ、、、と

ぼんやりと考えてしまう。



夫の人生で最後の旅行。

長野県にある高原に

ふたりで一緒に出かけた。



どうしても夫が行きたい場所があり

長野で2泊3日した後に

草津温泉で1泊することにした。



その頃は歩くことも

難しくなっていた夫。



浮腫んだ足のマッサージ器と

車椅子を車に積んで

杖と大量の薬を持って家を出た。



全身に転移した

がんの治療をしていた夫は

主治医から

「もう受けられる治療はない」と言われた。

(原発は肺がん)


数ヶ月後にはどうなっているか

わかりません、と

やんわりと余命宣告を受けた。



緩和ケアの医師や看護師は

今、行きたいところに行ってください、

と言った。

今できることを

今のうちに、と。


みんな、何を言っているのだろう。

まるで夫が死んでしまうかのような

言い方をする。

そんなこと絶対ないのに。



そう思いながらも

私は自分がすべてを背負っているようで

夫を連れて出る旅が

怖くてたまらなかった。



旅先でも

夫の体調は

徐々に悪くなっていく。



横になって眠ると息苦しくなり

座ったような姿勢で寝る姿も怖かった。



絶対に死なせはしない、

と固く決心しているのに



繋ぎ止めようとしても

どんどん遠くに行ってしまうような恐怖。



全身は痛みがひどく

医療用麻薬の痛み止めが

かかせない。



身体はもろく

繊細になり



身体にふれると

痛がるので

抱きしめることも出来ずに

ただ祈るようにしてともに過ごした。



11月に入った山の近くの場所は寒くて

雨も降っていた。

冷たい空気や

旅の疲れが

夫の体調を悪化させているようで

私は落ち着かない。




温泉には泊まらずに

予定を早めて帰ろうと

提案してみたけれど



休日だから道路が渋滞するし

キャンセル代もかかるし

もったいないよ、

帰る理由がないよ、


と言う夫。



早く帰りたくて

泣きたくなるような気持ちで

過ごす私。


でも、最後の夜のディナーは 

美味しかった。

何よりも夫がご機嫌で喜んでいたので

食べて良かったな。



「温泉と言えば日本料理が多いだろう。

たまには

洋食もいいと思って

フランス料理を予約したよ。」


そう言って夫は嬉しそうに笑った。



本当にそれはとても美味しくて


普段わが家にはない

バターを

焼きたてパンに

たっぷりとつけて食べたり


普段わが家のメニューには出てこない

ステーキを堪能したり


(食事療法で乳製品やお肉を控えていたので)



今振り返ってみれば

食べておいて良かった。



この旅行から帰った2日後。



夫は呼吸困難になり

緊急入院することになる。



主治医からは危篤と言われたけれど

もう面会することは出来なかった。





この頃の夫は

『人生最後の、、、』

というものが多かった。


今まであたりまえだと思ってきたことの

ひとつひとつが

人生で最後になっていく。




静かに

人生を閉じていく。

悲しさ。痛み。




この悲しみをどう表現できるのか

わからない。



亡くなったのは

年が明けた1月だった。


ついに愛する人の身体が

骨と灰になってしまう虚しさ。悲しさ。




火葬場で

係の人が言い放った


『これにてお別れでございます』




の言葉。


扉に吸い込まれる場面に


叫び出したいほどの慟哭。


人生にあんなに辛いことがあるのだろうか。




その最後に泊まったホテルの

名前が入った薄い温泉タオルを


きっといつまでも

私は捨てることは

出来ないだろうな、、、。




ここから亡くなる日までは

一年前の足取りを

思い出しながら過ごしていく。きっと。



忘れたくても。

忘れたくない。




あなたの生きた軌跡を。

わたしだけは

覚えていたい。




あなたが確かに存在したことを。

誰よりも

愛しい人のことを。