私が母親が『変』だと言うことは

小学4年生の頃に気付き始めた…


そして、言葉化出来ないままに

思春期に突入した…

『家』が大嫌いだった。


そして、16歳の秋に初めての彼氏が出来

『愛情表現』をリアルに体験する。


そして、恋愛が上手くいかない。と言う体験を

通し、コミュニケーションを学んでいった。


私は『家』が嫌いなまま

結婚をし、母親となった…

私は母親が大嫌いだったので

母親のような母親にはならないと決めていたし、

母親のような妻にはならないとも決めていた。

そして、私は母親のように『女性』とし

生きれない自分が嫌いになった…


そして、今。

私は母親の溺愛と言う愛情表現や愛の形も

有りだなって思っている爆笑爆笑

欲している人や求めている人に届けば良い!

そう思っている…


三女は溺愛を欲しているし求めている。

三女の愛情表現や愛の形は溺愛なのだと思う。

それなのに、三女は寵愛や博愛と表現するから

三女の人生は狂っているのだと思うガーンガーン

溺愛を求めて欲すること、

そして、示すことは決して悪でもなんでもない!

溺愛を求めて欲することも、示すことも

それを求めて欲する人と出会えたのであれば

それで良いのだから…

母親は私や妹たちに溺愛だった。

だけど、私が1番溺愛だった。

私が最初の子だったから…

溺愛を求めているのに、

それを表現出来ないのは辛く苦しいだろうタラー

『私だけを見て愛して』と言うには

抵抗があるかもしれない…

お利口さんで理解力がある人ほど

そんなことは言いたくても言えないだろう。

でも、三女はそう言えたら楽だっただろう…


私は母親からの溺愛を求めても欲しても

いなかった。

でも、母親は私に溺愛したかった。


三女は母親からの溺愛を求めて欲していた。

でも、母親は三女に私ほどの溺愛は

示さなかった。


三女が私だけを憎む理由はこれかな?


私はどうしたら良かったのか?

私は母親からの溺愛を否定したり拒否したり

逃げたりしないでパー

母親からの溺愛を、一旦、受け入れべき

だったのではないかな?

その上で、母親に私が望む愛の形や愛情表現が

どんなのかを伝えること!

そこが大事だったのかもしれない…


でも、私は自分の望む愛の形も愛情表現も

一体どんなかが分からなかったから、

母親を否定したり拒否したり逃げたりして

いたのかもしれない。


今、やっと私は自分の望む愛の形や愛情表現が

理解出来、言葉化出来るようになったアップアップ


だから、溺愛する人を否定も拒否も

しなくなったから、逃げなくても良くなった。


『あぁー、溺愛型ねーグラサン』と理解することが

出来るようになったから…

溺愛型とは『境界線』は大事おいで

『ここからはダメー爆笑爆笑』みたいな…

そうすると、溺愛型は自分が望む溺愛が

出来ないから諦める!

根気良く、境界線をアピるアップアップ

それに限るグッ


親子関係や夫婦関係、恋愛関係において

双方が溺愛を求めて欲している間柄であれば

どうぞ〜ルンルンルンルンなんです。

でも、片方が望んでいない場合、

もしくは、途中で望んでいないことに

気付いた場合には…

境界線は必須ピンクハート

とにかく、根気良くアピろうアップアップ

溺愛型が溺愛をやめることはないので、

溺愛のターゲットを自分ではなくすこと目キラキラ

出来たら、溺愛を求めている人だと

解決策になるかもね…


溺愛したい人は溺愛の矛先があり

溺愛を受け入れてくれる先があれば

良いのかもしれない!

仮に、旦那様が溺愛先であっても

旦那様が境界線をアピってきたなら、

その矛先を我が子であったりペットに向けること

が、一旦の解決策なのかもしれない。

そして、我が子やペットが溺愛を求めているなら

こんな幸せなことはない。

完全には満たされないのかもしれないけど、

溺愛の矛先があるのは助かるであろう。


精神的に未熟で、尚且つ、

自分の感情を言葉化することが出来ない

旦那様の境界線のアピり方が

浮気の場合もあるのかもしれない。


私が過去、恋愛を含めた人間関係が

スムーズにいかなかったのは…

そもそも論とし、私自身の愛の形や愛情表現を

見誤っていたから!

与え方も受け入れ方も違っていたのだと思う。

それを気付かせてくれたのが20歳の時の

失恋だったのかもしれない…


私は母親の溺愛を嫌っていながら、

私は母親からの溺愛でしか人を愛することが

出来なかったのだと思います。

たまたま、最初の彼は溺愛を求めて欲していた

人だった言うことです。

だから、私はそのまま結婚をしていたら

誤ったままの人生だったのかもしれない。


だから、初彼との別れも、20歳の時の失恋も

私の愛の形に気付く為の現象だったことに

過ぎない!

何度も何度も繰り返された恋愛も

私が気付く為に起きた現象。

神様はあの手この手で私に気付かせようと

行っていたのでしょうアップアップ

分からず屋でごめんなさいお願い



私そのものは溺愛は望んではいません…

だから、私は溺愛をしない方が良い。

溺愛をされると私は窮屈になり、

自由な発想が出来なくなる。

私は私を尊重して欲しい。

そして、だからこそ私もあなたを尊重したい。

だからこそ、私は私の感じていることや

思ったり考えたりしていることを知っていて

欲しい。

そして、あなたのことも知りたい。

文字でのやり取り、電話や会うと言う

コミュニケーションツールを使い

お互いを深く知り合いたいピンクハート

その為の美活であり、お金であり、

デート内容なのかもしれない。

美活やお金やデート内容が目的ではなく、

コミュニケーションツールが目的でもなく、

お互いを深く知り合いたい。これが目的。

お互いを深く知り合いツールは何でも良い!


私がNに対して、何も望まないのは

意思がない訳ではなく、

そこじゃないだけウインクキラキラ

それがNには伝わっていないのだと思う。

なぜか?Nの周りには私みたいな女性が

いないから…

言わば、Nが最も嫌う女性かもしれない。

Nのことを深く知りたい。

Nは絶対に知られたくない部分を

私は知ろうとしているから…

そんな深く自分を見せてしまったら

深みにハマり、抜け出せなくなる

深みにハマって逃げられたら

生きてはいけない。

そんな恐怖が私にはあるのかもしれない。


私は逃げない。

その姿勢を貫くしかないのか?

Nが拒否をしようと否定をしようと逃げようと

私は逃げないと言う姿勢。

Nは徹底的に私を傷付ける。

愛していない、必要ないと訴える。

もちろん、他の女性と付き合いもする。

それでも、逃げないと言う姿勢を

私は持てるのか?

現実的ではないね…

悟りの世界じゃんね…


Nを信頼し、Nに全てを委ねる。

それがNを完全に自由にすること…

それが私の愛の形。


出来るのか?


私はNから信頼されていない。

何度もNから現実的に逃げていたから…


私もNを試していたから…


お互いにお互いの愛を試していたのだと思う。


だから、私がやめる!

私が先に身を引く…

それは愛を諦めるのではなく

愛を試すことをやめる。

愛を試すと言うことは

もう、すでに愛があるじゃない爆笑爆笑

愛があるから試すのだから…

愛がなかったら、そもそも試せないよタラー


その上で、後は神様に委ねる。


これが、私の一方的な思いや行為なら

終わる。

いや、すでに終わっていたことに気付く!


これが、二人の試練であれば

その試練は終わる。

そして、二人の新しい形が始まる!



たかが、溺愛。

されど、溺愛。

ネームプレートに愛の形を明記して欲しいよ…