白鵬のファンだった私は、彼が引退した後
あまり相撲を見なくなっていた

しかし、この名古屋場所は本当に楽しく
見ることが出来た

伯桜鵬が大活躍
白鵬が、育てていると思うと感慨深い
髷の結えない19才と、繰り返すアナウンサー
よくもこんな逸材が、と驚くばかりだ

優勝した豊昇龍も、まだ24才
随分、険しい表情で土俵に立っていたが
優勝戦で勝ち、土俵を降りる時には
もう涙を堪えきれずにいた

しかし表彰式が終わった後の
インタビューでは「うれしいっす」と
繰り返して、可愛い笑顔を見せていた

他にも、錦木が金星を上げたり
様々な熱戦が続いた場所だった

今、誰もが、大谷翔平の話には
身を乗り出してくるのだけれど
先日、相撲は興味ない、と
言い切った知人が居て、驚いた

彼は、趣味が野球とゴルフの40代

相撲は、日本の国技なんだけど、と
内心思ったが、口には出せなかった

ところで、20年ほど前にミステリー作家が
書いた本がある





3ページくらいで一つの話が終わり、末尾に

この様に技の説明がある、力作だ


お相撲さん、つまり力士は、かつてチカラビトと

呼ばれていたという。

このチカラビトという表現が、私はことのほか

気に入っている。

いかにも強そうで、特別な能力を備えた人のようで

どこか神聖な響きさえあるように感じるのである。

無論、現実に目を向ければ、ごく普通の少年が

職業として相撲というスポーツを選び、部屋に

弟子入りしてプロを目指すのであるから

最初から神聖な人であるはずもない。

それでも一たび力士を目指し、やがて出世してくると

やはりどことなく威厳を備えたチカラビトらしく

見えてくるのだから不思議である。


彼女の情熱は、力士や部屋、床山や行司についてに

とどまらない

国技館の土俵が普段は、地下に格納されていて

桟敷席の全てもスライドして壁に収納、と

ハイテクという言葉で表現


大阪府立体育会館まで出向き、細かいところまで

描かれている


大阪場所では取り組みを終えて花道から

支度部屋に戻るときも、観客のいる場所を抜けていく。

息を切らし、汗を流して歩くお相撲さんを

間近で見られることは、嬉しいことだ。


場所中は、夜ともなればミナミ界隈のあちこちで

力士たちが食事をする姿を見られるのだという。

食い倒れの街を歩くお相撲さんたちの姿は

春の風物詩にもなっていることだろう。


まさに、大阪の街に力士たちが歩く頃

春が来たと思える

当たり前だと思っていたが

特別な機会を与えられていたと

つくづく思う