次の日に、朝早く起きなくて良い
というのが、年寄りの特権。
気の向くまま、暮らしている。

買い物は、平日の午後に行く。
家族連れで、ごったがえす
日曜日には、絶対行かない。

散歩も、今日の様に気温が
高いと、行く気になれない。
大体、テレビを見ている。

桜も早く咲いているようだし
緑地公園まで見に行こうかと
思った。

大阪府の北摂には、色々な
思い出が数えきれない程
ある。

小学生の頃。
家族で行った、北摂の
レジャーランド。
クレー射撃のゲーム機があり
父親にやり方を教えてもらった。
夢中で銃を構え、撃ったが
ほとんど当たらなかった。

長じて、大学生となり
コスモスが咲く頃
かっこうのデートスポットが
緑地公園だった。
池にボートがあり、街と
違う雰囲気を楽しめた。

吹田にある大学は、正門を
くぐると銀杏並木。
左手の坂には、桜があり
毎日花見の宴が開かれていた。

大学の奥には、馬場があった。
間近で馬を見たのは、入学して
2年が過ぎた頃だと思う。
奥の門を出て、少し歩くと
先生のご自宅があった。
何の用だったか、忘れたが
緊張しつつ、訪問した。

本当に、年をとると、記憶が
どんどん薄れていく。
時系列が不確かで困る。

その後、何度か、ご自宅に
伺っているのだけれど
思えば35年程、昔の事だ。

在学中、ゼミ生はみんな
何度、先生に居酒屋で
ご馳走になったか分からない。

みんなの印象に残っている言葉。
「40を越えると、鉄の玉が
坂を転がるように、時が過ぎますよ」

そして、もう60を越えてしまった。

平日、何も用事が無い日は
滅多にない。
近くに買い物に出ると
最低でも3000歩は歩く。
電車に乗ると、9000歩を超える。
どこに行っても、店の人と喋る
事が楽しみである。
人の出入りもあり、その度に
片付けに懸命になる。

ともあれ、日曜日は誰とも
喋らない日もある。
緑地公園と先生のご自宅が
近いと思い出して
電話をかけた。



花見の話をしようと思っていたが

長々と、気の向くままに話してしまう。


行きつけだった居酒屋は廃業して

しまったとか。淋しい限り。


先生も店の人と喋るのが楽しみ

だったのに、喫茶店の人が

代替わりするやらで、と

嘆いておられた。


また、日中は、コンビニでも

スーパーや、コンビニの

おばちゃんが喋ってくれる。

でも、夜、コンビニに居る

男の子は、全く喋らんと

ご立腹の様子。

確かにコンビニは昼間に行くと

丁寧な対応だけど、夜は

大抵、不愉快かもしれない。


同級生の話をした。

ワクチンも打たず、マスクも

最小限で過ごしていた子がいる。

しかし、会社で全員がコロナに

感染したが、彼女だけは、全く

無事だったと報告。

先生は「顔、思い出されへんねん

けどなー。小さい子やろ?

僕もチビやけど、小さいのは

頭がええねん。頭重いから」

もう、笑いが止まらずに

困った。


もう1人、1番綺麗だった

同級生が結婚が遅くて

29だったと言うと。

先生は、大層驚かれた。

最後に招待状が来たのは

40やったと!

道理で、少子化になる訳で。


ご自宅に、500冊もの本を

引取りに来てくれてた

古本屋さんが来なくなって

困っているとのこと。


私が、妹の家にも旦那の実家にも

本棚が無いんです、と言うと

絶句してしまわれた。


話は、大阪の街の歴史のあれこれや

お孫さんの事や、糖尿病の事など。

延々と続く。


最後は、いつか台湾に行きたい

けれど、行けるかな?

李大統領とテレサテンの

お墓参りに行きたいと

おっしゃるのに同感した。

台湾料理だけなら、大阪で食べられる

かもしれない。


3時半くらいから、喋り出して

気が付くと5時だった。


長電話も年寄りの特権の一つ

かもしれない。


早い目の夕食を終えると

宵寝をしてしまった。


お喋りも長過ぎると、体力が

要るようだ。