この記事は、
かなり主観が入った文章です。
気分の乗らない方は、くれぐれも、スルーでお願いします。
<(_ _)>
殺伐とした世の中に嘆く。
今日、時記念日は、私の父の誕生日だった。
ダンスのイベントがあり、
外出し、
帰宅は、19時を過ぎてしまった。
そこから急いで夕飯の支度をした。
仕事を終え、
分刻みの行動をしていたので、
勿論、
ケーキもない、
特別な料理もない。
でも、父のお祝いをしたかった。
ダンスイベントで、チビ達を連れて行けず、
母が子守をしていてくれたので、
母は、既にわが家に居た。
そこへ父もわが家に呼び、
うちにあったビールで、
皆で乾杯した。
特別な料理はなくとも、
7人の孫達に囲まれ、
終始父も嬉しそうな表情だった。
昨年、3ヶ月以上も入院生活を強いられた父にとって、
今、ここにある自身の幸せをヒシヒシと感じているのだろう。
まだ治療中であり、
深酒は厳禁だが、
お酒好きの父にとっては、
こうして、体の疲れを癒す程度のお酒が一番心地よいのだろう。
こうして、家族皆が笑顔で居られる幸せ。
この団欒の光景。
この当たり前の光景が今の日本の家庭では、
欠如しつつあるのだろうか…?
世の中には、様々な家庭があり、
全ての家庭が私と同じ訳ではないのは当然。
でも、形態は違えども、
仕事で疲れて帰宅した時、
嫌な事があって、帰宅した時、
人それぞれ様々な悩みはあるけど、
そんな悩みを分かち合える仲間や家族が存在し、
安らげる場所が、全ての人々の生活に存在したならば…
毎日、想像を絶するような事件のニュースが、
目や耳に飛び込んでくる。
人を殺める。
その心情は、私には、到底知り得ない心理状況だ。
全ての原因は、ストレス社会にあるの?
私は、評論家でも何でもないので、
偉そうなことは、何一つ言えない。
でも、7人の子の母として、
子供達には、人の痛みが分かり、思いやりがあり、
愛情一杯を人と分かち合える様な心豊かな人間に育って欲しいと願っている。
「親の背中をみて育つ」
本当にそうだと思う。
私は、私を育ててくれた父や母を尊敬している。
特別な人間ではないかも知れない。
でも、少なくとも、
私や妹を愛情一杯育ててくれた両親だ。
もし、人生に迷いが生じ、
誤った道を選ばざるを得ない状況に追い込まれたとしても、
父や母の悲しむ事などを想像したら、
悪い事は、決して出来ない。
私は、13年前に、長男を出産した。
勿論 二十歳を越えた立派な大人だった。
しかし、その出産の時に、
どうしようもない痛みに襲われ、
真っ先に口走った言葉は、
「お母さん、助けて。お母さん。」だった。
現実に母に助けてもらいたい訳ではない。
自分にとって、究極の時に真っ先に思い浮かんだのは、
母の顔だった。
私にとって、母の存在は、大きな大きなものだ。
父や母は、自分自身がどんなに辛かろうとも、
私達子供を育てるのに、必死だったと思う。
私も妹も親の愛情一杯に育てられた。
だからこそ、私も、子供に愛情を一杯、一杯注ぎたい。
少子化、少子化と叫ばれる世の中だけど、
政治的対策も勿論必要な事だけど、
何よりも、小さな子供達が安心して暮らせる世の中でなければ、
どんなに自分自身が大事な命を育んでも、
その大事な命を守りきれるのかという不安が常に付きまとう。
「可愛い子には旅をさせろ」が当てはまらない。
お年寄りや子供達に優しい国であって欲しい。
いくら少子化対策を講じても、
安心して暮らせる世の中でなければ…
子孫を増やし、本当の豊かな暮らしを得ることは出来ないのだと思う。
物騒過ぎる世の中。
子供達に信用という文字すら
どのように教えたら良いのか思案してしまう。
親は子供を守り育てる義務があると思う。
人生の中における、
大事な幼少期を、親の愛情一杯に育み、
愛情一杯に育った子供達が
またその愛情を子孫に受け継ぐ。
万人が、心豊かなストレスのない世の中を望む。
理想社会かも知れないけど、
そうかも知れないけど、
殺伐とした世の中を少しずつでいいから、
変えていけたらいいd(^-^)ネ!