長男が産まれた 12年前の 6月15日の事 今でも よく覚えています
この頃の私は 月のものが 不順で 全くをもって 出産予定日は デタラメ
確か 予定日の修正が 2回入りましたね
それでも その予定日には 産まれず
初産だし 陣痛が どの程度の痛みかも 予想出来ず
日付は 既に 予定日過ぎていたこともあり
軽い痛みだったけど 取り敢えず 前日の14日 7時に入院
今思えば 凄い 恐ろしい 出産経緯を辿ったような…気がします
この時 確か 子宮口は 大して開いていなかった
それなのに 入院すると
促進剤の筋注をした
錠剤も 飲んだ
今 思えば 予定日が正確ではないにしろ
数字的には かなり 超過していたので 医院側は 早く出そうとしていたのでしょうね
そして 午前中は 比較的 週刊誌を読んだりして 余裕だった
ところが
促進剤が効いてきてのか?
お昼くらいから 陣痛の間隔は 短くなり
夕飯は 一口も 食べられなかった
15:30から 来てくれた母が 一生懸命 背中を擦って 応援してくれた
そういえば 旦那は 仕事で 一切 連絡を取りませんでしたね~
初めての子なのに..............( _ _)σ イジイジ
その母も 22時には 帰って行った
今でも 覚えているんですが 確か TVも観たいし などと 言っていたよな
そのTVは 「星の金貨」という 酒井法子主演のドラマでした
懐かしぃ~
まぁ そんなこと どうでもいいですね
そして 一人で 一晩 陣痛の痛みと戦ったのです
でも これって どうなんでしょう?
子宮口開いていないのに 陣痛促進剤 投与ですよ
口が開かないのに 上から押す (; ̄ー ̄)...ン? こんなお産の進め方って いいの?
その為 出血が酷く ベッドも 痛みで抱え込んでいる 自分の足の踵も 血だらけ(/||| ̄▽)/ゲッ!!!
トイレに 行けば 大量の出血
初めてのお産で 右も左も分からない 私
こういうものだと 思い 凄い 痛みに 耐え続けた
そうして 一睡もする事が 出来ず 痛みに耐え
何とか 朝を 迎えた
内診をすると やっと 子宮口が 4指 開いたと…
明け方 やっと 分娩台 かと 思いきや
婦長が 私に こう告げた
「今 もうすぐ産まれそうな 妊婦さんが 入院して 分娩室に 入ったから 貴方は その後ね~ でも まだ十分お産まで時間がかかるから大丈夫よ~( ̄∀ ̄*)」
私の心のつぶやき:<え~ 初産の方の お産が 済むまで 私 この痛みのまま 更に 自室?>
文句を言っても 始まらないし…
再び 痛みに 耐えた
7:30に入院した この妊婦さん 初産の割には 早めのお産となり 9時前には 産まれた
めちゃくちゃ 羨ましかった
だって 私より 後に 入院して 私より 早く 短時間で スポッと 産んでしまって…
(ちなみに この時産まれた 男の子 今 うちの長男と 同じ 学校で 同じクラスなんですけどねっ)
そして 私は 9時に やっと 分娩台へ GO
ここから 分娩監視装置(NST)をつけられて
身体は仰向け固定で ますます しんどい
この時 私が 陣痛で 苦しんでいるのに 分娩室に 掃除のおばちゃんが 入ってきてね
私の事を 下の部分から 覗きこんで
「あ~ まだまだだねっ」
って 言ったんです
<お前さんは 医療従事者じゃないだろう>ムカ・・・(-_-メ)
人が陣痛で 戦っているのに モップ 持って 大事な部分覗き込んで まだまだって どういうこと
激痛と戦いながら 凄い 腹が立ったのを 今でも 鮮明に覚えていますよ
この医院 個人経営なだけに 外来でも 何でもありっていう 雰囲気があったのよね
診察室に 院長が 飼い犬を連れてきたり タバコ吸っていたりね
常識はずれも 甚だしい
まぁ~ そんな怒りよりも 痛みの方が 上いってましたが……
そして 苦しむ事 4時間半
6月15日 午後1:37
体重 3150g 身長 49.5cm 我が家 待望の 第1子 長男誕生
となったわけです
お産の所要時間 34時間 39分
凄い 痛みに耐え抜いた お産でした
私の入院していた部屋は 2階だったのですが この時は 飛び降りて 死んでしまいたいと 思ったくらい 辛かったです
しかし それだけの 苦しみを耐え抜き 産まれてきた 我が子と ご対面した時は 自然と涙が溢れ 感動一杯でした
長男は この時 片目を つぶっていて まるで 私に これからの長い人生 宜しくなっ と 言いたそうな お顔を していました
私がつけている 長男の育児日記に 当時の気持ちを こう記してありました
「梅雨の時期 ひとときの晴れ間に ひょっこりと 顔をだした 私の宝物です」 と…
長男に会えた この感動の瞬間は一生忘れませんが
このお産の進め方には 後に振り返り 考えれば 考える程 疑問が沢山残るお産でした