悲しみと手をつなぐ | 12枚の羽根の歌

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生きることは踊ること!

久々のブログです。

日々一生懸命生きていて、
もちろん、楽しいことや素敵なこと、感動的な発見もたくさんあった中、
いつの間にか、疲れとストレスが溜まっていました。

久しぶりにゆっくりする時間が取れたので、「よし、今日は瞑想!」


静かに座って、
ただただ呼吸して。


そうしたら、

「悲しみ」が、いっぱい出てきた。


ぽろぽろたらたらこぼれる涙。


悲しみを、
ただただたくさん感じて、
たくさん涙を流した。


それは、
もちろんいくつかの出来事と関連した悲しみだったのだけれど、
誰がどうしたとかいう因果関係は、そんなに重要なことじゃなかった。


ただただいっぱい悲しみを感じた。



途中で、さすがに拭こうと思ってティッシュをそのまま顔に当てたら、
フェイシャルマスクみたいになって、あまりのそのままさにびっくり。

href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150116/10/takako-p/d0/1c/j/o0606080913190810035.jpg">悲しみ



ああ、「悲しみ」の顔だ、と感じた。


それで思い出した。
むかーしむかし、精神科でPTSD治療を受けていた頃のこと。

とても信頼していて大好きな主治医(女性)に対しても、なかなか核心のことは話せなかった。重たすぎたから。
でも、核心的な話をしなくても、ただ会って、「さいきんどう?」って訊いてもらえることが、何よりの癒しだった。その積み重ねが、とても大切だった。憐れまれるのでもなく説教されるのでもなく、ただシンプルに「一緒にいてくれる」ことが、何よりも貴重な体験だった。

そんな中で、ある日、ふと描いた絵を持っていった。
それは、青い水彩絵の具で単純に書いた、人の顔の絵だった。

 輪郭があって、
 耳が2つあって、
 丸い2つの目があって、
 棒のような鼻がある。

それだけ。

タイトルは、
「悲しみには口がない」。

主治医は、それを見て、「そうか、悲しみには口がないんだね」と言った。
うん、と私は言った。



喜びや楽しさは、人からも受け容れてもらえやすい。
怒りも、外向きのエネルギーだから、発しやすいかもね。

でも、悲しみは、自分のやわらかい部分と直結した感情だから、
安心できる環境でなかったら、表現するのは難しいね。
ついつい、「弱さ」と関連付けて感じてしまったりもするし。


だから、「ポジティブでいなきゃ!」とか思ってると、「悲しみ」は「都合の悪い」感情になって、ないことにされてしまいがち。
でもそれでは、自分の大切な一部を、否定したままになってしまうんだなぁ。


「感情に呑まれる」のはあまりいいことないけど、
「感情否定」も、いいことない。


「感情を受け容れてバランスよくつきあっていける」くらいが、いちばん良いよね。
「感情も含めて、自分をまるごと愛せる」ってなったら、とても生きやすく幸せだね。



ぽろぽろ泣きながら、
「悲しみ」をたくさん感じながら、
ふと気がつくと、切ない気持ちが、愛おしい気持ちに変わっていた。

ああ、「悲しみ」と手がつなげた、って感じた。
私は私と手がつなげた。丸ごとの私になれた。

安心。愛。あたたかさ。


先にも書いた治療期間には、膨大な量の文章や詩を書いていました。
そんな中で、こんな言葉を書いたことを思い出した。


 ~~~~~~~~~~~~

  悲しみさん
  一緒に生きよう
  あなたの声が聴きたいの

 ~~~~~~~~~~~~



怖くて安心できていなかったから、否定していたんだよね。
ぜんぶ受け容れて生きていけるくらい、強くなった。

人は、
私は、
ポジティブばかりでもネガティブばかりでもなく、
強いだけでも弱いだけでもなく、
陰だけでも陽だけでもなく、
ぜんぶを含めた、全体性の存在。


ああ、なんだか、バランスが取れた(^-^)