1995年1月17日の阪神淡路大震災の衝撃さめやらぬ2月15日に私は生まれて初めて埼玉県加須市にやってきました。震災前から決まっていた加須青年会議所さんから依頼された講演のために、加須を「かぞ」と読めないままにやってきたのです。


講演を聞いてくださった方々は、すぐに骨髄バンクにドナー登録に行ってくださいました。しかし、一番近い登録場所が伊奈町の血液センター。クルマでも約1時間弱かかります。


「こんなに遠いところにまで登録に行くのは大変だなぁ」と思った青年会議所のメンバーは、加須保健所で骨髄バンクの登録ができるように、当時の加須市長に直談判をし、結果的に、成功しました。その直談判をしたのが、のちに骨髄ドナーになって下さった方と、そして、のちに私の夫となった人です。


なので、加須青年会議所とは、夫とは関係なく(もないですが)、骨髄バンクのことで、付かず離れず何度も話すことになりました。まぁ、それがご縁で結婚したのですが。。。(笑)


知り合って2年後に結婚するのですが、結婚してからのことです。


加須市の人口より人が集まる、と、言われている毎年5月3日に開催されるイベント・ジャンボこいのぼりの掲揚時に骨髄バンクの登録会を企画したい、と夫が言ってきました。


(↓↓↓おジャコみたいなこいのぼりが普通サイズのこいのぼりです。ジャンボこいのぼりは100m以上です。本日は、綺麗にあがりました!)



私は、夫に「はっ?何言ってんの、この人。」と思ったのを覚えています。


ジャンボこいのぼりは河川敷で掲揚されます。つまり、すごい砂ぼこりが舞うのです。


そんなところで、採血できるわけないじゃないの。感染症にでもかかったらどうするの?


反論する私に夫は、「砂の上にビニールシートを張り、それをテントで覆えば良いのでは?」と、想定外のことを言い出します。だいたい、野外で骨髄バンクの登録会を開催するなんて、当時は考えられなかったし、その上の砂ぼこり。


しかし、でき得る対策を練り上げ、保健所からの許可も得て、夫は実行に移してしまいました!医学的な知識が皆無、って、良いこともありますね。まさに、怖いもの知らずです。


そして、なんと、5月3日の一日の骨髄バンクへの登録者数は、埼玉県内の1ヶ月の登録者数を上回るというすごい人数だったのです。しかも、その後、何年にもわたって、その実績は続きました。


残念ながら、今は、骨髄バンクの仕組みの変化で、登録会は中止になりましたが、でも、毎年、骨髄バンクの普及啓発は続いています。だって、加須市の人口より多くの人が集まる、と、言われているイベントですから。。。


(↓↓↓このようにして、来場された方々に骨髄バンクの啓発をしています。)



そして、本日のイベントには、骨髄バンクから移植を受けた患者さんファミリーが顔を見せてくださいました。患者さんは、骨髄移植時に、妊娠できる可能性を残すため、卵巣を防御しての放射線治療をしました。骨髄移植のあと、自然妊娠し、生まれた男の子と一緒に本日、来場してくださいました。


なんと、嬉しいご縁続きなのでしょうね。


長くなりましたが、加須市の観光大使(そんなこともやっとります。。。)よりの報告でした!!!


でも、私は、忙し過ぎて、現地には行けなかったので、友人からの写真をお借りしました!ごめんなさい!!!