誰もが、祈りは素晴らしいということを知っています。
特に、最近はコロナのこともあって、
「みんなで祈ろう」という呼びかけもあったりしますね。
みんなの集むる力というのは、
確かにあるのだろうけれど、
ダスカロスの『エソテリック・プラクティス』という本の
冒頭に引用された『マタイによる福音書』のこの一節は、
祈りの本質を伝えてくれています。
しみじみ心に沁みますねー。
さて、あなたはどこに向かって祈りますか?
最初のセンテンスは、祈りがパフォーマンスになってないかという、
指摘ですね。ぐうの音も出ませんね。
外の世界に見せるために祈っても、
それは、届かないということですね。
祈ったふり…。祈ったつもり…。
あなたの祈りはちゃんと届いているでしょうか?
祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。
偽善者たちは、人に見てもらおうと、
会堂や大通りの角に立って祈りたがる。
はっきり言っておく。
彼らは既に報いを受けている。
だから、あなたが祈るときは、
奥まった自分の部屋に入って戸を閉め。
隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。
そうすれば、隠れたことを見ておられる
あなたの父が報いてくださる。
また、あなたが祈るときは、
異邦人のようにくどくどと述べてはいけない。
異邦人は、言葉数が多ければ、
聞き入れられると思い込んでいる。