ハプナのまりえさんの日記に、
アンマのダルシャンに参加したことが書いてあった。
今、アンマは来日中のようだ。
アンマにあったのは、
随分前のこと。
始めて、よみうりランドに行き、
参加したとき、
会場に入った途端に、
思考が落ちた。
まさしく落ちたという感じ。
セミナーの仲間たちと一緒にいったのだけど、
それから、一切口を開かなかった。
というより、口を開く必要がなくなった。
みんなの会話は耳に入ってきても、
それが何を意味し、
自分が相槌をうったり、
言葉を返したりすることが
考えられなかった。
圧倒的な空気感だった。
呼吸をすることすら、忘れてしまいそうだった。
帰るとき、電車で悲しくなって、
「アンマについてインドに行きたい」と言って泣き、
友人からこってり怒られた。
アンマはあなたの中にいる。
あなたもアンマも同じ。
出家するのは違うと思う。
真剣に語ってくれたことば。
私は、その後何回かダルシャンに通い、
友人を誘い、
そして、当時、杉並にあった事務所にもいって、
アンマが身に着けたものなどを
オークションで買ったりした。
サリーやそして、お部屋に会った絵など。
アンマのお人形は今も飾っている。
しばらくして、
友人のことばがよくよく理解できて、
私は私を生きることが大切だとわかった。
出家がそうでないといってるのではなく、
娘がおり、そして、家庭もあった当時の私には、
それが最善の方法ではなかったということだ。
まりえさんのアンマの記事を読み、
さまざまなことを思った。
他にもっと抱きしめてもらう必要のある人が
いるんじゃないか。
彼女のように考えて、
私もダルシャンに行かなくなった。
同じ感覚だと思った。
だけど、最後に、アンマの抱擁は、
宇宙に抱かれているようだったという
表現に、私も何度かの抱擁を思い出した。
なんて美しい表現なんだろう。
アンマは私の中にいる。
10数年を経て、今の私はそのことがわかる。
そして、アンマに思いをはせれば、
あの、特別な空気感と、
宇宙の抱擁を感じることができる。
私の中にアンマがいる。