1983年に2020グラムでこの世に誕生
両親や家族に祝福されて…
兄妹上に2人の3番目の末っ子として育ち
母親は私が小学低学年の時に、倒れ、
心肺停止
人工呼吸器装着して
約1か月以上、生死をさまよった。
当時 小学生だった私はが終わりすぐに
母親の入院している病院まで
歩いて通うのが日課だった。
距離は覚えていないけれど
時間的には歩いて45分くらいだったと思います。
今でも覚えています。
意識のない母親だけれど、
母親に逢える事がどんなに楽しみだったか、
私は幼稚園の時から
母親が身体が弱かったので
1度も幼稚園の参観日に母親が来た事はなく、
七夕飾り🎋など
祖母が来てくれていました。
当時は、祖母に来られる事を
恥ずかしいとか、寂しいって
思っていた事を
今でも覚えています。
母親の意識が回復し、
集中治療室を出てからも
毎日毎日ランドセルを背負って
病院に通い 面会時間終了まで一緒に過ごす
夕ご飯は病院の前のコンビニで買い
母親の病室で一緒に食べる
父が仕事終わりにお迎えにくる。
そんな小学生低学年の私の日々でした