昨年の8月19日にコロは旅立ちました。



これはそのときのことを詳しく書こうと思います。


読む方には今更のことですよね。
自分のために書くようなものです。





節目の度に何度も書こうとしたのですが、
どうしても書くことが出来ず、一年が過ぎました。




もう今更なので、書くのは辞めようと思ったりもしましたが、心にひっかかったままで。


心の整理のためにも書かなきゃと思いま


休み休み書きます。











昨年の8月18日、とても暑い日でした。

この時期、ストレスと寝不足が溜まっていたので、休みの母がコロの横で寝ていました。



朝の9時、コロの わぉわぉわぉ~~んというあまりに苦しそうな声で起きました。


すぐに母が私を呼ぶ声がして、駆け降りました。



1年前に苦しんでいたような苦しそうな声、、、顔、、

いや、1年前よりヒドかった。。



前日も変わりない様子で、
朝も母がカートに乗せて散歩へ行き、何も変わりなかったというのに、突然の急変。




なんだか、チッチッチッとタイマーを鳴らしていた爆弾が突然爆発しだしたような感じでした。




すぐに支度して、いつも往診で来てもらっている病院へ連絡しましたが、往診は午後でないと来れないとのこと。。

それまで行っていた近所の病院へ電話しました。

すぐに見てくれるとのこで、母と向かいました。




私はその日、持病の検診があり、その後夜から友達と予定があった。
みんなと合流する前に、友達と待ち合わせて軽くお茶しようという、

そんな予定。


今思えば、なんてことのない予定。


次の日にコロが亡くなるのが分かっていたら、即座に全てキャンセルできるようなこと。



状態がとても悪くなったことは分かっていた、だけど、すぐどうこうではないと思っていた。。


いや、でも考えてみれば、
病院の先生から、いつ何があってもおかしくない。突然のことも十分にあり得る。
と日頃言われ、痛いくらい分かっていたはずなのに。。


なんて私はバカなんだろう。




どうすれば良いか迷っていた。。







病院に着いて、駐車場で、カートから降ろそうと抱えたとき、オエッとなったコロの呼吸が止まった。
白目を向いてダランとしていた。


ここでは嫌だよ!コロ!待って!
そう心で叫んだ。



嘔吐した粘液が詰まってしまったのかな?!!
焦って病院に走り込み、息が止まった!!ダメかもしれない!!と叫びました。


他の患者さん差し置いて、
診察室にいれてもらい、診察台に乗せると穏やかな顔に。
呼吸も戻っている。




今思うと、亡くなる瞬間のときと同じ感じだったので、もしかしたらこの時1回逝きかけて、また戻ったように思います。




いつもそうだけど、ここの先生は、自然に…という感じで、なにも施してくれませんでした。


腫瘍が大きくなってるのでは、とのこと。


補液をしました。


補液をしたら、わぉわぉ苦しむのは止まり、穏やかな顔になりました。



少しホッとしました。




そして、バカな私はとりあえず、予約をとってる(自分の)病院に行くことにしました。


母も、今すぐどうって話ではなさそうだから約束も行ってきたらと言いました。




でも安易な考えでしたね。



今すぐどうこうって状態でしょ。







そして都内の病院まで行き、診察が終わった頃に、母に電話をいれました。

穏やかになって寝ている、大丈夫。
とのこと。




先にお茶しようと約束していた友達と待ち合わせ場所に向かった。



その移動中だった。


母から電話がきて、

またコロが苦しんで鳴きわめいていると。


往診してもらっていた病院にもう直接行くから、父に連絡取って車を出してくれとのことだった。


新宿から父に電話。


すぐに父がうちに来て、母とコロを連れて病院にいったようでした。



私は新宿という離れた場所から、
電話でしか何も出来ず、とてももどかしかった。


すぐにその時に電車で引き返せばよかった。。


なんで引き返さなかったの。。




もう友達が来ていたからとりあえず会おうと思った。

会ったら言おうと思った。

実はその後に他の子たちと合流してビアガーデンに行く予定だった。


人生初のビアガーデン、楽しみだった。

バカだった。



友達に会ったらビアガーデンは断ろうと思った。
少しだけ、ほんの少しだけお茶してコロのところへ。

心臓がバクバクしていた。





でも友達の顔を見たら、言い出せなかった。

いつも人に言いたいことや本音が話せない私だけれど、、
こんな時にまで、と自分が情けなかった。


やっと、コロの話をして、状態を話して、

友達から「今日はもう帰りな!」と言ってくれるかなぁと思った。。


でも、キャンセル料がかかるとのこで。。

どうせお金かかるなら、じゃあちょっとだけでも顔出していけばってなって。。


でも、今思えば、
キャンセル料だってなんだって置いてすぐさま電車に乗れば良かったんだ、、、、。

本当に、、。




それでそのままビアガーデンに移動することになって。



母に電話をすると、、、


病院でエコー撮ったら、「内臓が何も見えないくらい体全体に腫瘍が広がっていると言われた。。」と。
腫瘍が大きくなりすぎて、内臓を圧迫しているそうです。そして、至るところで腫瘍が潰れて出血していると。

そして、「(安楽死の)選択も考えてください。」と言われたと。。



私は絶望的になった。
目の前が真っ白になった。
大泣きしたかった。


でも外で、友達もいて、泣くことも出来ず、平然を装ってしまった。

離れた場所で電話しかしてなく、、もどかしくてたまらなかった。。。



このとき、思いが上手く涙に出来なくて、今もこうして泣けてしまう。



母から聞くには
今日は強い痛み止め(麻痺させるようなもの)を打って、ぐっすり眠っているとのこと。


これからずっとこれが続いて、コロは苦しむだけで、だから選択も考えるということ。。





これからコロの苦しい日が続く。。




コロはその日、太っい~注射を3本打たれ、キャオオ~ンと鳴いたらしい。

注射痛かったんだよね。。






その日の様子は私は聞いただけで、
その日のコロのことは見ていない。





この1年付きっきりでコロを見てきて、自由がない!と、ストレスがたまる!とほざいてきた私が、、

最後の日にはそばにいてあげなかった。

しかもくだらなすぎる理由で。

最後の日にずっとそばにいたのは母で、ここ何年ももう暮らしていなかった父も居て。


最後に尽くしてあげなかったのは私だ。


そばに居てあげなかったのは私だ。




ビアガーデン行ったって、心がソワソワして、何も楽しくないのに。


1時間ちょっといて、もうダメで、周りの子にコロのことを話した。

すぐに帰ってあげて!と言われて、、
先に抜けて、走って帰った。


コロ待っててね、!
そう走って帰ったけど、都内は遠かった。。



そんな時に限って、、
本当にそんな時に限って
電車が踏切事故かなんかで止まった。。

30分は停車していた。



私は狂ってしまいそうだった。


その時間はあまりに長かった。


命がかかってるのに、、一秒一刻でも早く帰りたいのにと。。




でもそんな考えも…
そう思うならば今日ぜんぶをキャンセルをして、一日一緒にいてあげればよかったのだ。。。





普通なら1時間ちょっとで帰るところを2時間もかかってしまった。。

コロ。。

ごめんね。




帰宅したのは22時すぎていた。。




コロと一緒に居られたであろう時間のあまりに多くを費やした。。





強い薬を打たれ、何時間も眠っていたというコロ。

そろそろ眠りから覚めていた。




帰宅した私を、、
顔を持ち上げて見上げた。


しっかり私のほうを見ていた。


どこ行ってたの?待ってたよ。
とでも言うかのように。。


私は号泣した。

ごめんね。。


泣く私の顔をコロはじっと見ていた。


そんなに泣いたら、コロが不安になっちゃうよ!と母に言われた。



これがその時の顔です。
photo:01





この写真、ちゃんと見ることが出来ません。
あまりに切なくて。



私が帰宅する前に、ミルクボールを5つぶ食べられたらしい。

それがその日初めての食事で、最期の食事となりました。。



この1年、手作りしたり、あれやこれやずっと食事をみてきたのに、最期の食事には居てあげませんでした。。




その日1日みていた母は疲れきっていたので寝室で眠りに行き、私が一緒に眠りました。


少し目をあいていたけど、しばらくするとウトウト眠り出し、私も少し眠りました。


数時間後、2時くらいだったかな…
コロの苦しそうな息づかいに目を覚ましました。

声にはならない、低音混じりの苦しそうな息をしていました。



コロちゃん…苦しいね。

声をかけながらさすりました。



こんなに苦しいなら、安楽死もひとつだと母も言っていた。

でも、それはあまりに辛すぎた。。


こんなに頑張ってきたのに、最期をこちらの手で終わりにするなんて、
辛くて辛くて、


でも苦しそうで見ていられない。



そこで初めてこんなお願いをしてしまった。。
神様…もうコロの苦しみをとってください。楽にしてあげてください。と。


本当の願いはこれからももっと一緒にいたいのに、

こんなお願いをする時もあるんだ…と思いました。


その時間に、コロは苦しさからもがいて立ち上がりたがりました。


そして、毎晩毎晩やっていたように、コロの身体を支えて立ち上がらせてあげました。


1日じゅう横になっていた身体はバランスを大きく崩し、より力なく、とても立てたとは言えない格好でしたが、


それが私とコロの最期の二人六脚となりました。



それからしばらく苦しそうなコロの身体をさすっていました。


「コロちゃん、えらかったね。十分頑張ってきたよ。コロちゃん、もう頑張らなくていいよ。楽になっていいんだよ。」
ここで、コロにこの言葉を言いました。

この一年、ずっと、頑張れ頑張れと言
ってきた私、、、

頑張らせてきた私。

もうコロは十分頑張った。。



その言葉をいったとき、
コロは、理解しているような目で私を見つめていました。

コロに伝わったんだなぁと感じました。


その時の写真です。

photo:02



またも切なくて直視できません。。




コロの大好きだったワンちゃん仲間たちの名前をあげました。

くまこも、マルもジョンも、チャコも、みんな待ってるよ。
と。。


コロは私の話すことを全て聞いているようでした。
理解しているようでした。


それからしばらくすると、
コロの歯茎が真っ白になってきました。
慌てて口を開けると、舌も真っ白に。



病院の先生な歯茎が白くなってきたら、貧血を起こしている、長くはない。と前から言っていた。。。




自分で願ったくせに、
そうか、いよいよなのか、、と絶望的になった。。


口を開け、一回一回の呼吸がやっとになってきたので、
急いで母を起こしに行った。


コロが危ないかも…と。


母と二人で身体をさすった。
母も同じことを言っていた。お友達ワンコの名前も同じように話していた。



それが明け方4時くらいの話。


コロはそのまま、呼吸が落ち着き、眠りだした。

私と母もコロの隣で横になった。


そして、3人で眠っていた。


わたしがよく願っていたことだ…
母と二人でコロの隣で寝てあげたいと。
どちらかが付いて寝る日はどちらかは自分のベットで身体を休めるという生活になっていたから。
初めて3人で寝た。叶った。



気づいたら6時を過ぎていて、コロも眠っていた。

歯茎と舌は真っ白なままだった。



少し落ち着いていて、母がもう起きてそばにいたので私は部屋で少し仮眠をとった。



それから9時頃にまた苦しそうにしていたので、病院へ連絡をいれ、今日の診察の予約をした。


13時に予約がとれたので、今日も注射を打ってもらおう。

父にも連絡をして、車で来てくれることになった。


それからはコロを撫でながら、ラジオを聴いていた。



何度もここに書いたけれど、
そのとき、「輝く月のように」が流れて、、

なんだか、私のコロへの想いみたいだなぁって思って、涙が出た。



だから、この曲を聴くと、
この時の時間が思い出されて、涙せずにいられません。






それから母が今のうちにと買い物に行って。

二人で過ごした。


その時に撮ったツーショット写真。

周りのシートやらタオルやらをパパ~とどけて、撮りました。

photo:03




これが最期の二人での写真となりました。



そして、これが生前最期の写真。
photo:04




長時間横になっていたから顔が歪んでしまっていますね。
とてもしんどそうな表情。。


母も買い物から帰宅して、
3人で居るとき、明け方のように、コロの呼吸が早くなりました。

口を開けて息を取り込むのがやっとという感じ。



私も母も分かっていて、、
コロの顔を必死でのぞいて撫でました。

頑張らなくていい。頑張らなくていいよ。楽になっていいんだよ。ありがとう。よく頑張ってきたね。



その言葉を聞きながら、
大きく口を開け、嘔吐しました。

粘液だけが出て、苦しそうにしながら、目が一瞬白目をむき、そのまま全身の力が抜けダランとしました。
そのすぐ後に一瞬力が入り、ウンチが出ました。
小さくて、綺麗なウンチでした。

そして再びダランとして、もう動かなくなりました。


12時10分でした。



ありがとう、ありがとう。

号泣しました。







最後まで綺麗なコロンとしたウンチを出して、なんて健気なんだろう、、

母が号泣していました。




その日は、ご近所の可愛がってくださった方や、ワンコ仲間へ連絡をし、
コロの顔を見にきてくだりました。


コロの目がなかなか瞑らなくて、
何度か手でおろしてみてもうっすらあいていました。


来た方が、こっち見てるみたいと言っていました。


そして、みんなが帰って夜になって、
自然と瞼が閉じていたのです。



きっと、来てくれた方々を目で見ていたんですね。


最期まで、じーっとこちらを見つめる子だったから。








初めてブログに書きましたが、
私は最後の苦しんでいる時期に一緒にいてあげませんでした。


母は、病院での場面や、注射で鳴く声を忘れられないと言います。


父は、苦しそうに叫ぶ声が今も耳に残っていると言っています。



私はそのときの光景を知りません。




コロは一日、私はどこだ?て思っていたかもしれません。。

帰宅したとき、重い顔を持ち上げて見てきたのは、待っていたのだと思います。



謝っても謝りきれません。



先日書いたように、
ステロイドをきちんとあげていなかったことも、悔やまれてなりません。


きちんとあげていたら、
あそこまで大きくなって、苦しませなかったかもしれない。


悔やんでも悔やみきれません。










コロ、本当にごめんね。

本当にごめんね。






そして、本当によく頑張ったね。
注射痛かったよね。






これが全てです。

大変大変長くなって申し訳ありません。



命日を迎える前にきちんと書きたいと思いました。


読んでくださった方、ありがとうございます。








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