「怪物」オグリキャップ死ぬ=競馬ブーム巻き起こした名馬
時事通信
『地方競馬から日本中央競馬会(JRA)に移籍して1980年代後半から90年まで大活躍したオグリキャップが3日、北海道の牧場で右後ろ脚を骨折して死んだ。25歳だった。
85年生まれのオグリキャップは岐阜・笠松競馬場で87年にデビューし、88年にJRAに移籍。20戦した中央では有馬記念2勝などGI4勝を含む重賞レース12勝を挙げ、「芦毛(あしげ)の怪物」と呼ばれ一大競馬ブームを巻き起こした。
引退レースとなった90年暮れの有馬記念では武豊騎手を背に4番人気の評価を覆して快勝。有終の美を飾り、千葉・中山競馬場に集まった17万人を超えるファンから大歓声を送られた。女性の競馬ファンが急増する契機にもなった。
現役を引退後は種牡馬となったが概して名馬は出せず、2007年に種牡馬を退き北海道の牧場で余生を送っていた。』
★オグリ全盛の時代のも女性ファンの盛り上がり方は凄かったよなー。ぬいぐるみとかのキャラグッズの発売もこの頃だった。
鷹基は馬は、見るのと乗るのが好きなので、競馬中継はよく見るんだよね。ギャンブルは嫌いなので、馬券を買ったりとかはしないけど。だから、レースをよく見ていた馬がいなくなっちゃうのは矢張り寂しいね。
オグリキャップが死んだ…
日刊スポーツ
有馬記念で復活Vのオグリキャップと武豊(撮影・90年12月23日)
『「オグリ」の愛称で多くのファンに愛された芦毛のアイドルホース・オグリキャップ(牡25歳)が3日、北海道・優駿スタリオンステーションで、脚部骨折のため死んだ。
オグリキャップは1987年(昭62)に地方・笠松競馬でデビュー。12勝10勝の抜群の成績を認められて、翌年に中央競馬に移籍。1990年の有馬記念の引退レースまで重賞12勝(うちG1・4勝)。通算成績は地方、中央を含め32戦22勝。
引退後は種牡馬となったが、中央競馬での重賞勝ち馬は出なかった。07年に種牡馬を引退し、余生を過ごしていた。』
★「12勝10勝」? 落ち着け、日刊←それを書きたかっただけか、俺。
「芦毛の怪物」オグリキャップが死亡
サンケイスポーツ
『多くファンから人気を博し、競馬ブームを支えたアイドルホースで「オグリ」「芦毛の怪物」などの愛称で呼ばれたオグリキャップ(牡25歳)が3日、余生を送っていた北海道・優駿スタリオンステーションで、脚部を骨折して死亡した。
【写真で見る】オグリの感動の引退レース
オグリキャップは1987年に地方・笠松競馬でデビュー。12戦10勝と圧倒的な成績を残し、1988年に中央競馬(JRA)に移籍した。中央競馬では引退レースとなった1990年の有馬記念を含む重賞12勝(うちGI4勝)という偉大な記録を残した。通算成績は地方、中央を含め32戦22勝。
競走馬の引退後は種牡馬となったが、中央競馬での重賞勝ち馬を出すことはできなかった。主な活躍馬にクイーンS2着のアラマサキャップや小倉3歳S2着のオグリワンがいる。地方競馬ではアンドレアシェニエ(牡9歳、現役)が14勝を挙げている。2007年に種牡馬を引退し、余生を過ごしていた。
オグリキャップは父ダンシングキャップ、母ホワイトナルビー、母の父シルバーシャークという血統。笠松時代は鷲見昌勇厩舎、中央時代は瀬戸口勉厩舎に所属。1988年にJRA賞最優秀4歳牡馬、1990年にはJRA最優秀5歳以上牡馬および、年度代表馬になった。』
★オグリ産駒で重賞馬がいないとは、意外だな。
ハイセイコーと並ぶアイドル オグリ死す
毎日新聞
『かつて、競馬界で「怪物」と呼ばれたオグリキャップが3日、北海道の放牧先で死んだ。中央競馬の重賞12勝、地方競馬からのステップアップなど、その実績と経歴で愛された芦毛(あしげ)馬は、キャラクターグッズもできるなど競馬ファン以外からも人気を得た。
競馬評論家の井崎脩五郎さん(63)はオグリキャップについて「競馬に詳しくない人でも名前と、その走りを知っていたという点では(1970年代の人気馬)ハイセイコーと並ぶ『2大アイドルホース』だった」と振り返る。
井崎さんは、オグリキャップが地方競馬から中央競馬にデビュー後、最初に東京競馬場で走ったレース(88年)で、初めてその走りを目の当たりにした。「2着以下に7馬身ぐらいの差をつけて勝ったのを見て『こんなすごい馬がいたんだ』と驚いたのを覚えている」。人気を支えた理由を「とにかく、一生懸命走る馬だった。『地方から中央の舞台へ』というサクセスストーリーのみならず、この懸命さが人々の心をつかんだのではないか。ラストランの有馬記念(90年)で、限界説を吹き飛ばして勝ったのも素晴らしかった」と分析する。
最後にオグリキャップを見たのは、一昨年秋の東京競馬場でのイベントだったといい、「とても元気そうだったし、『オグリを見たい』という人が600メートルぐらい列をなしていた」と井崎さん。死の報を聞き「『よく頑張って走ったよね。突然でショックだけど、ご苦労様』と言ってあげたい」と話した。』
★脚部骨折…って、やっぱ安楽死? 馬は立てなくなると生きていられないからね。25歳は長生きなのかな? お疲れ様でした。ゆっくり休んでね。
時事通信
『地方競馬から日本中央競馬会(JRA)に移籍して1980年代後半から90年まで大活躍したオグリキャップが3日、北海道の牧場で右後ろ脚を骨折して死んだ。25歳だった。
85年生まれのオグリキャップは岐阜・笠松競馬場で87年にデビューし、88年にJRAに移籍。20戦した中央では有馬記念2勝などGI4勝を含む重賞レース12勝を挙げ、「芦毛(あしげ)の怪物」と呼ばれ一大競馬ブームを巻き起こした。
引退レースとなった90年暮れの有馬記念では武豊騎手を背に4番人気の評価を覆して快勝。有終の美を飾り、千葉・中山競馬場に集まった17万人を超えるファンから大歓声を送られた。女性の競馬ファンが急増する契機にもなった。
現役を引退後は種牡馬となったが概して名馬は出せず、2007年に種牡馬を退き北海道の牧場で余生を送っていた。』
★オグリ全盛の時代のも女性ファンの盛り上がり方は凄かったよなー。ぬいぐるみとかのキャラグッズの発売もこの頃だった。
鷹基は馬は、見るのと乗るのが好きなので、競馬中継はよく見るんだよね。ギャンブルは嫌いなので、馬券を買ったりとかはしないけど。だから、レースをよく見ていた馬がいなくなっちゃうのは矢張り寂しいね。
オグリキャップが死んだ…
日刊スポーツ
有馬記念で復活Vのオグリキャップと武豊(撮影・90年12月23日)
『「オグリ」の愛称で多くのファンに愛された芦毛のアイドルホース・オグリキャップ(牡25歳)が3日、北海道・優駿スタリオンステーションで、脚部骨折のため死んだ。
オグリキャップは1987年(昭62)に地方・笠松競馬でデビュー。12勝10勝の抜群の成績を認められて、翌年に中央競馬に移籍。1990年の有馬記念の引退レースまで重賞12勝(うちG1・4勝)。通算成績は地方、中央を含め32戦22勝。
引退後は種牡馬となったが、中央競馬での重賞勝ち馬は出なかった。07年に種牡馬を引退し、余生を過ごしていた。』
★「12勝10勝」? 落ち着け、日刊←それを書きたかっただけか、俺。
「芦毛の怪物」オグリキャップが死亡
サンケイスポーツ
『多くファンから人気を博し、競馬ブームを支えたアイドルホースで「オグリ」「芦毛の怪物」などの愛称で呼ばれたオグリキャップ(牡25歳)が3日、余生を送っていた北海道・優駿スタリオンステーションで、脚部を骨折して死亡した。
【写真で見る】オグリの感動の引退レース
オグリキャップは1987年に地方・笠松競馬でデビュー。12戦10勝と圧倒的な成績を残し、1988年に中央競馬(JRA)に移籍した。中央競馬では引退レースとなった1990年の有馬記念を含む重賞12勝(うちGI4勝)という偉大な記録を残した。通算成績は地方、中央を含め32戦22勝。
競走馬の引退後は種牡馬となったが、中央競馬での重賞勝ち馬を出すことはできなかった。主な活躍馬にクイーンS2着のアラマサキャップや小倉3歳S2着のオグリワンがいる。地方競馬ではアンドレアシェニエ(牡9歳、現役)が14勝を挙げている。2007年に種牡馬を引退し、余生を過ごしていた。
オグリキャップは父ダンシングキャップ、母ホワイトナルビー、母の父シルバーシャークという血統。笠松時代は鷲見昌勇厩舎、中央時代は瀬戸口勉厩舎に所属。1988年にJRA賞最優秀4歳牡馬、1990年にはJRA最優秀5歳以上牡馬および、年度代表馬になった。』
★オグリ産駒で重賞馬がいないとは、意外だな。
ハイセイコーと並ぶアイドル オグリ死す
毎日新聞
『かつて、競馬界で「怪物」と呼ばれたオグリキャップが3日、北海道の放牧先で死んだ。中央競馬の重賞12勝、地方競馬からのステップアップなど、その実績と経歴で愛された芦毛(あしげ)馬は、キャラクターグッズもできるなど競馬ファン以外からも人気を得た。
競馬評論家の井崎脩五郎さん(63)はオグリキャップについて「競馬に詳しくない人でも名前と、その走りを知っていたという点では(1970年代の人気馬)ハイセイコーと並ぶ『2大アイドルホース』だった」と振り返る。
井崎さんは、オグリキャップが地方競馬から中央競馬にデビュー後、最初に東京競馬場で走ったレース(88年)で、初めてその走りを目の当たりにした。「2着以下に7馬身ぐらいの差をつけて勝ったのを見て『こんなすごい馬がいたんだ』と驚いたのを覚えている」。人気を支えた理由を「とにかく、一生懸命走る馬だった。『地方から中央の舞台へ』というサクセスストーリーのみならず、この懸命さが人々の心をつかんだのではないか。ラストランの有馬記念(90年)で、限界説を吹き飛ばして勝ったのも素晴らしかった」と分析する。
最後にオグリキャップを見たのは、一昨年秋の東京競馬場でのイベントだったといい、「とても元気そうだったし、『オグリを見たい』という人が600メートルぐらい列をなしていた」と井崎さん。死の報を聞き「『よく頑張って走ったよね。突然でショックだけど、ご苦労様』と言ってあげたい」と話した。』
★脚部骨折…って、やっぱ安楽死? 馬は立てなくなると生きていられないからね。25歳は長生きなのかな? お疲れ様でした。ゆっくり休んでね。