内省バカ一代

内省バカ一代

このブログは、内省を通じて心の深層を旅し、自分自身の脚本を見つめ直す場所。気づきと言語化で人生を再構築します。

Amebaでブログを始めよう!

「受け容れるって、どういうこと?」―頭と身体がバラバラなときに

ある方の話です。
「婚約者がメンヘラで、どうしたらいいかわからない。すべてを受け容れるって本に書いてあったけど、正直どうやったら“受け容れる”ことができるのかわからない」と。

たしかに「受け容れる」という言葉はよく聞きます。
でも、それってどうやること? 我慢? 愛? 努力?

この方の中では、頭では「受け容れなきゃ」と思っている。
けれど、身体の奥では「もうしんどい」「別れたい」と叫んでいる――。
まさに、心と身体の“ねじれ”が起きている状態です。


「頭ではわかってるのに、できない」——その理由

心の葛藤は、とても静かに、でも確かに、身体に現れます。

たとえば、頭痛、肩こり、食欲不振、不眠…。
心の奥で「もうつらい」と叫ぶ声が、身体を通じて現れてくることがあります。
それはまるで、「このままだと壊れてしまうよ」と教えてくれているかのように。

無理に「受け容れよう」とするのではなく、
まずは**「受け容れられない気持ちがあること」**を、そのまま見てあげること。
そこからすべては始まるのだと思います。


専門的な見地から

このような状態は、心理学的にいえば**葛藤(conflict)の典型例です。
表層の「理想的な自分」=超自我が、「受け容れるべきだ」と語りかける一方、
深層の
イド(本能的欲求)は、「もう限界だ」と悲鳴をあげている。
その間で板挟みになっているのが
自我(Ego)**です。

神経生理学の視点では、このズレによって交感神経が過剰に刺激され、
身体にさまざまな不調(自律神経の乱れ)が現れてくる可能性があります。

また交流分析的に見れば、「こうあるべき」という**CP(批判的な親)と、
「でも本当はもう嫌なんだ」という
FC(自由な子ども)**の対立が背景にあります。

大切なのは、“受け容れられない声”を無理に封じ込めず、
対話の相手として扱うこと
つまり、「否定する」のではなく「耳を傾ける」こと。

そうして初めて、「受け容れよう」ではなく、
**「受け容れた状態に自然と至っていた」**という変化が起きてくるのです。


最後に

「受け容れることができない…」
そんなとき、私たちはつい「自分が未熟なのでは」と思ってしまいます。
でも本当は、そこにあるのは“心の深い対話の入り口”なのかもしれません。

頭では「こうあるべき」と考え、
身体は「もう限界だ」と訴えている。
どちらも、自分の中の正直な声です。

すべての声に耳を傾けたとき、少しずつ“自分だけの落とし所”が見つかっていきます。
それは、誰にも真似できない、自分だけの「答え」。
そしてそれは、いつしか「受け容れよう」ではなく、
「受け容れていた」に変わっていくのかもしれません。