息をもつかせぬギャグの連続!
愉快なメタモルフォーゼ!

音楽と画のシンフォニー。

10年に及ぶ人気シリーズの始まりは、墓場から甦った骸骨達が主役だった…

ディズニーのシリー・シンフォニーシリーズ第1作。
骸骨の踊り
1929年

https://youtube.com/playlist?list=PL0R7VZvUAYbKZh9qsj5b5GX3Ck5ztyFu0


当時ディズニーはこの映画の前年に公開された、世界初のトーキーアニメ『ミッキーマウス』シリーズが大人気でしたが、あえてこのシリーズを始めました。

当初、配給元は難色を示しましたが、蓋を開けたら大ウケ…アニメはキャラクターが命という常識を覆したのです。

以後、ミッキーと並ぶ人気シリーズになります。

『シリー・シンフォニー』はキャラクターアニメと違って、アニメ表現そのものが主役です。

それが結果的にディズニーのアニメーター達にとって、アニメ表現の可能性を探る実験の場となりました。

このシリーズが無かったら、その後の長編アニメへとつながる、アニメのスピーディな進化は無かったと思います。

シリーズ第1作『骸骨の踊り』は、今見ても愉快極まり無いですね。
アニメ表現の面白さが凝縮されとります。



この頃、ウォルトの言動に異変が見られるようになります。

スタッフに対して怒りっぽくなり、発作的に泣き出したり、会議で何を討論しているのか判らなくなったり…

医師の診断は「神経衰弱」でした。
「このままでは大変なことになりますよ」

ウォルトは医師の忠告にしたがって2ヶ月ほど仕事を離れ、妻リリアンと心の癒し旅行に出ました。


新しい分野を切り開いていく仕事のストレスは、思いのほか彼の神経をすり減らしていたのでした。




現状維持では後退するばかりだ
ウォルト・ディズニー

「神経衰弱」からほぼほぼ立ち直ったウォルトはアニメ映画のカラー化を目指します。

スタジオにラボを作って研究をしていましたが、中々上手く出来ません。

ディズニーが試行錯誤を続けて2年がたった頃、テクニカラー社が3原色カラーフィルムを開発します。

「これならスクリーンに虹が描ける!」

ディズニーはいち早くそこと契約を結び、その時ほとんど完成していたモノクロの『花と木』を破棄、セル彩色用の絵の具を急ピッチで開発してカラーアニメを制作します。

それは、映画において世界初の3原色フルカラー映画となりました。

花と木
1932年

観客は、初めて見る美しいフルカラー映画に度胆を抜かれたことでしょう。

ちなみに劇場用実写映画で初のフルカラー化は、この2年後でした。


『花と木』以後のシリー・シンフォニーはすべてカラーで制作されています。

しかし制作コストはうなぎ登りに…ついには1本あたりの制作コストの方が映画の配給から得られる収益を軽く上回ってしまうようになっていました。

短編映画は、長編映画の添え物に過ぎなかったので、収益には限界があったのです。


そこで長編アニメ映画に目標を定めたディズニーは、巨大なマルチプレーンカメラを開発して、画面に奥行きと立体感のある画作りに成功します。


風車小屋のシンフォニー

1937年


この最初のマルチ撮影作品を見て驚くのは、水面鏡像にもこの技術を使用していることです。

ディズニーはマルチ撮影の効果を、すでに研究し尽くしていたのですね。


この映画の完成試写では、当のディズニーのアニメーター達からもどよめきと驚きの声があがったそうです。

「いったい誰が作ったんだ!」



常に5歩も6歩も先をリードし続けるウォルトに、スタッフ達も追い付くのがやっとの状態になっていたようです。




同時期に進行していた長編アニメ映画の制作が佳境を迎える頃には、スタジオのスタッフ達のカレンダーは

月月火水木金金

これ、今だったら完全にアウトですな…


結婚していたスタッフの奥さん達は「ディズニー・ウィドウ」(ディズニー未亡人)と呼ばれたとか…。



そしてついにその年の12月に完成した世界初の長編アニメ『白雪姫と七人の小人』は驚愕の大ヒットで大金を生み、天文学的数字にまで膨らんでしまっていたという銀行さんからの借金も、公開の1年後には完済して立派な新社屋も建設したのでした。



『白雪姫』の成功は、シリー・シンフォニーが発展させて来た表現技術あればこそだったでしょう。



そしてアニメーション映画の主役は、短編映画から長編映画へと移行していったのでした。



最後のシリー・シンフォニー
みにくいアヒルの子
1939年

http://youtu.be/McOR79pFT3U

この作品、水に浮くキャラクター達の浮遊感のアニメートが見事です。
ホントに質量が感じられますね。

この作品をもって、アニメ表現を驚異的早さで進化させて来たシリー・シンフォニーは、その役目を終えました。


その後、ウォルトの道なき道を開拓しながらの五里霧中の歩みは、彼が65歳で亡くなるまで続いたのでした。








リーダーシップに一番必要な資質は勇気だ    ウォルト・ディズニー







新年おめでとうございます!

2021年もどうぞよろしくお願い致します。



☆追記☆
今年最初の趣味の油彩画に、亡き母の肖像を描いてみたいと思います。

母の遺影を元に下絵をデッサンしました。



『婆さんの微笑』鉛筆デッサン
油彩画が完成したら今年の『日美展』に出品します。
入選展示は国立新美術館。

興味のある方は『全国公募 日美展』で検索シテね。今年の応募要項を無料で請求出来ます。(^-^)v

●油絵の部・水彩画の部・パステル画の部・色鉛筆画の部・デッサンの部・日本画の部・ちぎり絵の部・絵手紙の部 

応募の〆切は4月14日です。

入選したら出品料と展示の際の額装代がかかりますがね…選外の場合は送料以外全て無料です。

 






 

 

 

 


 

 


 

 



 ⬇️ディズニー非公認の暴露伝記

人間ウォルトの苦悩を公認本とは違うアプローチで。

 

 

 



 ⬇️暴露本の発売を受けて、ディズニー公認の伝記作家ボブ・トーマスが「創造と冒険の生涯」では秘匿されていたウォルトの次女シャロンが養子である事実を書きました。


暴露本で書かれたウォルトとFBIの関係や、彼の実の母親が誰であるか、そして彼の実年齢の謎については触れられていません。


ディズニー兄弟の歩みと、ウォルトの死後、兄のロイがウォルト・ディズニー・ワールドを開園させて2ヶ月後に78歳で亡くなるまで。

 

 

⬇️アニメーション・バイブル待望の和訳

 







皆様にとって今年が幸多き年と成りますように。

ご訪問ありがとうございました。