突然ですが、私は美空ひばりさんが好きで、毎日必ず聴くほどのファンです(^^)
ひばりさんの代表曲の1つ「柔(やわら)」の一節にある好きな言葉です。
「口で言うより 手の方が早い 馬鹿を相手の 時じゃない」
という節があります。
現在私は36歳。
年少者へ「示しのつく人間」であるべき年頃です。
『示しのつく人間』とは何か。
『歳相応』の振る舞いとは何かを模索する中で、
閃(ひらめ)いたこと。
「怒る事より、「関わらない(気にしない)精神」を養うべきだと」
そう、悟ったのです。
往年の言葉で言うところの「ワレカンセズ(我関せず)」です。
この言葉の意味は事実を知らないのではなく、
「(知ってはいるが)関わらない。」という意味も込められているかと思います。
無論、人は守るべき物、誤ったことを正すために怒らなければならない時があります。
しかし、真の怒りは『本当に必要な時だけ』これを忘れてはならない。
そう強く思わせられた出来事が20代半ばにありました。
それは24歳の時、いわゆる「実践型研修」という社会人研修を2泊3日で受けた時でした。
この研修は、過去の体験を洗い出し、自己反省とやる気を引き出すというものです。
私の『関わらない精神』を思い起こさせたのは、その研修内容では決してありません。
研修所での食事の際の出来事でした。
食事中に講師(当時50代前半の男性)より言われた言葉です。
「君、左利きかね」と聞かれ、私が「はい」と答えたとたん、
『親不孝者だね』と言い残し、講師はさーっとその場を離れたのです。

私はこの言葉を言われた瞬間、怒りや、悲しいという気持ちは一瞬ありましたが、ふと冷静に考え、
この講師は「何故その様な言い方しか出来ない人なんだ」という考えが生まれました。
『自分はこの様な言い方を人にしてはならぬ。』という反面教師的な気持ちが生まれ、
結果的に「ストレスフリーの起爆剤」にすることが出来たのです。
世の中様々な方がいます。
「この人(講師)は関わるべきでない人である。」と。
恐らくこの言葉を、他の左利きの人が言われたら、心に傷を負っていたかもしれません。
しかし、私は上記のような心境に至れたということと、
そもそも、自分の父も母も、そして祖父の代迄左利きなのですw
なので、親不孝も何も無かったのですw
また、あの場で怒りをぶつけたところでその講師の考えが変わるわけでもなく、
そして何より「他の研修参加者に迷惑がかかる」と考えたのです。
人は「年齢と同じ分の年月背負っている。」「誰にでも産んでくれた親がいる」
という考えも同時に強く生まれ、ならば「関わらない」のが一番お互いにとって良い。そう思ったのです。
結局その研修の最終日、皆が涙を流しながら成果を発表している中、
自分は冷静に、その研修を終え研修場を後にしたのでした。
それ以来、自分の怒り方が大きく変わりました。
「(1日の始まりである)朝は特に怒らない」
「気にしない努力をする」
「怒った印象を相手に残させない(←コレ重要)」
そう思うに至りました。
お陰で、今では人生で最も心身共に「最も身軽で元気」です。
折角の人生。理性と品と道徳を養い、発信出来る人間でありたい。
そう思います。