今回は、私の最もご尊敬申し上げる方のご紹介です。
実業家であり、歌人、茶人である小林一三(こばやし いちぞう)氏(1873〜1957)その方です。
小林一三氏は数多くの『人々の夢を次々叶えた』偉人です。
その叶えられた夢は一過性のものではなく、構想から100年以上経過した今も脈々と受け継がれているのです。

その叶えた夢とは大きく5つ。
1.日本初の住宅ローン創設
2.娯楽の創造(遊園地、宝塚、東宝)
3.全国高校野球の設立
4.阪急百貨店のソーライス
5.真の損して得取れ精神
先ず小林一三氏について簡単に申しますと、箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)の設立を始め、沿線の宅地開発、百貨店、宝塚歌劇、映画の東宝、東京電灯、東急田園調布開発など関西に留まらず大きな足跡を残された方です。
1.沿線地域の開発(日本初の住宅ローン)
阪急の最初の路線である宝塚線、箕面線は、もともと大きな都市が無く、またカーブが多い為『ミミズ電車』や『墓地電車』と揶揄されるほど、沿線には田んぼとお寺、神社、お墓ばかりで、期待されていなかったそうです。
一三氏は『だったら乗客を作れば良い』との発想の下、豊中、箕面、池田、宝塚、西宮、芦屋など沿線各地に広大な住宅地を開発しました。
特筆すべきこととして『日本初の住宅ローソンを創設』したことです。
それまで、一括購入が当たり前だった住宅購入の概念を、ガラリと変えたのです。
結果、沿線の住宅地は飛ぶように売れ、乗客拡大と地域の発展に、大きく寄与しました。
また、沿線各地は名だたる高級住宅街を形成し、今日に至る沿線のイメージを定着させました。
2.娯楽の創造(遊園地、宝塚、東宝)
沿線の住宅地開発と並んで、力を注いだのが娯楽施設の開発です。
大阪北部の箕面(みのお)に動植物園、宝塚に温泉、温水プール、遊園地、動植物園(後の宝塚ファミリーランド)、大阪梅田には世界初のターミナルデパートを開業。
『平日の通勤通学客』だけでなく『休日の行楽客』の獲得にも成功しました。
更に映画の東宝(元々は東京宝塚の略語)の設立、そして100年以上の歴史を誇る女性団員のみで構成される『宝塚歌劇団』は、その名を全国に広めております。
また、宝塚歌劇は元々宝塚新温泉という施設の目玉として創立され、当初は観覧料は『無料』でした。
一三氏はあくまで顧客は『大衆』ということを念頭に置いており、あらゆる人が手の届く値で味わえる娯楽を目指していたと言います。
今では無料ではないものの最安3千円台で観劇が出来る手軽さは、その精神が根付いている為でしょう。
また、関西だけでなく東京の帝国劇場、日劇、楽天地(錦糸町)、そして全国にTOHOシネマズを展開しております。
3.全国高校野球の設立
今でこそ、甲子園を本拠地に夏と秋の風物詩とも言うべき高校野球は、小林一三氏の発案でした。
当初は、甲子園ではなく大阪の豊中市に球場を建設し、毎日新聞と朝日新聞へその主催権を委ねました。
この時、全国高校野球が設立されてい無ければ日本の野球文化そのものが大きく違ったかもしれません。
また、こちら台湾でも映画「KANO」の舞台となった嘉義農業高校の野球部は生まれていなかった訳です。
4.百貨店のソーライス
ウスターソースを白飯にかけただけの食べ物。その名も『ソーライス』
第二次大戦末期の不況により、人々の生活は困窮し、白飯だけを注文してテーブルに据え付けのウスターソースを掛けて食べる客が増えたそうです。
当初、百貨店内部で問題視されましたが、一三氏は、逆にこれを歓迎する姿勢を打ち出し、「ライスのみのお客様歓迎」という貼り紙まで出させたと言います。
従業員の中には売上を無視した姿勢に反発する者もいたそうですが、一三氏は「確かに彼らは今は貧乏だ。しかしやがて結婚して子どもを産む。そのときここで楽しく食事をしたことを思い出し、家族を連れてまた来てくれるだろう」と言い、「ソーライス」は阪急百貨店大食堂の堂々たる「裏メニュー」となり、広く知られました。
後に景気が回復し、ソーライスで飢えを凌いだ人達は敢えてソーライスを注文し、当時の御礼の意味も込めて、わざと高い追加代金を食器や食券の下にそっと置いていくという事態が後を絶たず、逆の意味で従業員が悲鳴を上げる事になったと伝わっております。
『ライスのみ歓迎』の貼り紙をした当時、一三氏は必ず食堂にいたそうです。
そしてライスだけのお客には、とくに従業員に指示して、福神漬をたっぷりつけ、客席をまわってお客様に笑顔でいちいち頭を下げてまわそうです。
ちなみに『本来の人気メニュー』であったライスカレーは現在関西各地でレトルトカレーとして販売されております。
5.真の損して得取れ精神
実は宝塚歌劇が独立させず阪急電鉄の一部門にしている大きな理由は『経営的には利益をを上げられている訳ではない』だからと言われています。つまり、独立をしたとたんたちまち運営が行き詰まるとも言われております。
鉄道という高利益な企業の一部門にすることで、劇団の運営を維持し、社会の文化向上に貢献しているのです。『損して得取れの精神』の代表とも言うべきことだと思います。
これら、一三氏の遺した数々のエピソードと組織は、何より政府の政策ではなく『民間の力』によって成し得たというところは最も特筆すべきことだと思います。
これがいわゆる『(帝都の東京に対して)民都の大阪』と呼ばれる一つの由縁かと思います。
本年、阪急電車は宝塚線の開業から111周年。
関西に留まらず、こちら台湾でも阪急、宝塚の名は知られております。
『しっかり投資し、しっかり回収し、しっかり(顧客、社員の給与として)還元する。』
今後とも、小林一三氏の築き上げた企業精神を学び、私は自らの夢を実現出来るよう努めてまいります。