関根潤三さんがお亡くなりになったという報道に接しました。
アナウンサーのスタートがテレビ新広島というFNS加盟局だった私にとって、
関根さんとの接点は「プロ野球ニュース」でした。
また、大学の後輩ということで、いろいろと話もしていただきました。
関根さんとのプロ野球ニュースで一番の思い出は、
1998年8月9日の福山市竹ヶ端運動公園野球場で行われたカープ対ベイスターズ戦。
4回までにベイスターズが6点を奪うものの、カープも5回までに5点を奪い終盤に入って同点となり延長戦へ。
結構なロングゲームになった展開に、私とディレクターは、「試合終了まで見届けると、放送に間に合わなくなるかも…」ということ。
(結果、延長15回、6時間を超えるロングゲームで、日付を跨いだので、本当に最後まで見ていたら完全に間に合いませんでした)
そこで、取材対応のためにディレクターを球場に残し、私と関根さんは新幹線で広島まで帰りました。
当時は、ネットによる速報サイトなどもありませんでしたので、試合経過をラジオで聞こうとするのですが、山陽新幹線はトンネルが多くて、受信がかなり困難で、試合経過がわからない中で局に戻りました。
結果、放送時間までに試合は終わらず、途中までつながったVTRで試合紹介をすることになりました。
フジテレビのスタジオから、間もなく呼びかけられる、という時でした。
関根さんが、「おい、(試合の)最初のほう、忘れたぞ」と小声で私に話しかけてきたのです。
その一言が本気だったのか、冗談だったのか、わかりかねたのですが、「大丈夫です。展開の説明は丁寧にしますから」と答えたところで、フジテレビからの呼びかけがありました。
果たして…。出来上がっていた途中までの映像の確認もせずに臨んだ放送ですが、関根さんの野球の映像に反応する言葉は全てが的確で、何の違和感もなく進んだのでした。
フリーになってからも、縁あってCSプロ野球ニュースの仕事をさせていただいていますが、こちらでも何度もご一緒させていただきました。
「おら、知らね」とか、「わかんない」なんて言いながら、「ただ、これだけは言えるのは…」と切り出す野球理論の正確性は不変とも思えるものが多く、それを分かりやすい言葉で語られる姿にいつも尊敬の念を抱いていました。
そしてもう一つ、1982年の10月18日。
中日対大洋のシーズン最終戦。
中日の優勝が懸かった試合は、もう一つ中日の田尾安志さんと大洋の長崎慶二さんの首位打者をレースの決着をつける試合でもありました。
当時大洋の監督だった関根さんは、打率トップだった長崎さんを欠場させ、田尾さんを全打席歩かせました。
田尾さんは5打席目にわざと空振りを2度して抗議の姿勢を示したのが印象的でした。
これは、私が中学2年生の時。名古屋出身の私にとって、忘れられない試合の一つです。
時が流れて、テレビ新広島のアナウンサーとなった後、関西テレビから依頼(だったと思う…)で、プロ野球ニュースで広島に来ていた関根さんにその試合の時の本当の心情を聞き出すインタビューアーを務める機会をいただいたことがありました。
いろんな角度から質問を重ねたのですが、話せること、話せないこと慎重に言葉を選んでいたのが印象的でした。
当時の大洋は、「タイトルが絡まないとニュースになかなかならない」などという言葉もありましたが、核心部分は「それは墓場まで持っていかせてくれ」と決して話をしてくれませんでした。
ひょっとすると田尾さんご本人には直接、本音をお話になっているかもしれませんが、田尾さん、長崎さんのどちらにも気を使われて第三者に対しては、決して漏らさないということを貫く姿にも尊敬の念を深めました。
関根さん。
本当に明かされることなく逝かれてしまったんですね。
もう質問できないんですね。
安心してお眠りください。
ありがとうございました。