0. 資本主義とわたしたち
非常勤として2月から仕事が始まっており、早いもので業務開始から2ヶ月が立ちました。この連休を終えると、終電で帰れれば幸せという会計士業界の長い繁忙期へと突入します。忙しくなりすぎると、人は当初の志から少しづつ振(ブ)れて行くものだと思います。そこで、人の生き道における勉強の位置を確認することにより、自分の当初の志を忘れずに立心することを目指そうと思います。
さて、今日は資本主義経済だと言われますが、インフラが未整備な第三世界セクター諸国と異なり、資本主義は日本社会の深淵まで根付いています。つまり、周辺事情を投資過程に転換して考えると非常にシンプルにあらゆる物事を理解することができると思います。
1.市場
皆、時間と労力という万国共通の投資原本を所有して80年ちょっとのピリオドで投資活動を行っています。あなたという人間は両親等が莫大な時間と労力を投資して抱かれた(=保有された)一銘柄であり、権利義務の帰属主体が親から子に移行する新社会人という時点において投資責任者はあなたになります(厳密な民法的移行年齢はおいといて)。
社会に放り出されたあなたは、これから自分一人でチャート(日経新聞で市場情勢の確認)をみて、単体株価と日経平均株価(あなたの市場価値と相場)をチェックして、スペキュレーションやヘッジ(スピンオフや組織内保身)をし、オープン型銘柄に追加投資(自己研鑽)をしていくのです。
2.「男女」の市場価値
基本情報として男女の市場価値はどのように決まるのでしょうか?昔アメリカで一人のブロンド美人が大富豪にメールをしました。内容は「どうやったら年収40万ドル以上の男と結婚できるの?私は容姿がいいのに、せいぜい10~20万ドルの男しかよってこないのよ、おかしくない?」というものです。それに対する大富豪の返答は、「簡単にモデルにすると、男女の市場価値は男の価値=経済力、女の価値=容姿+年齢、に近似するだろう。ここで、後者は減価するけど、前者は減価しない。つまり女性は時間の経過と共にカタチが変化していくけど、僕の持っているドル札は時間が経ってもカタチは変わらない。あなたの価値を高めたいなら、大富豪と経済の話をするために教養を鍛えなさい」というものでした。
ここで強調したいのはある意味女性蔑視的な彼の主張ではなく(まあ僕は個人的に真理だと思いますが)、男性の市場価値が容姿や年齢よりかははるかに経済力を変数とする関数で表現しうるということです。では、男性の市場価値である経済力はどのような相関関数で表現されうるのでしょうか。
3. 経済力の相関関数
相関関数は金融工学で用いられる相関係数とは異なり物理学の用語で、現在は広範囲で使用されているやや抽象さを具有するタームです。人生をアーリーステージとミドルステージとシニアステージで考えた場合、アーリーステージで経済力期待値(r)に最も相関するのは「勉強」でしょう。有名外資の欧米本社では聞いたこともない大学出身の方が働いているのが珍しくないそうですが、これは①完全成果主義の体系であること②トップ学歴者は起業して成功することをいいものとする風土が整備されていること、が理由として挙げられます。日本の人気就職先ランキング上位を想像してみて下さい、そこに何割の超低学歴大学出身者がいるでしょうか?新卒市場では東大率○割とか謳ってる企業もありますよね。経営学で日本はクローズ・インテグラル型を主要モデルとして発展したと習いますが、これは「クローズ型=超閉鎖型」「インテグラル型=超内輪型」の日陰風土に他ならず、学歴主義を内包する三種の神器(終身雇用、年功賃金、企業別労働組合)はその日陰で育ったドクダミ(日陰でもすくすく育ち、群生)なのです。そして転職市場では、基本的にビッグファーム→徐々にマイナーファーム(ex.ベンチャー)という流れをピボットとした不可逆的な力学構造になっています。この力学を理解せずに将来力をつけてビッグビジネスに転職しようと考える方は要注意。まあ10年で94%が潰れ、会計士的視点では内部統制がぐちゃぐちゃな「ベンチャー」を第一志望にする新卒者は別の明確な意図があるのだと思いますが(注意;ベンチャー志望者を非難する気持ちは一ミリもありません)。話が逸れましたが、要は日本では経済力の相関関数は第一義的に「勉強」に依存していることに他ならないということです。
4.「勉強」の市場価値
このような状況にある日本では、勉強は「上位1割程度、が並以上の所得の種になる」し、「平均程度、でも安定職に就くことができる」最強の安全投資なんですね。勉強以外は何たるリスク投資か考えてみて下さい、音楽家やスポーツ選手で平均所得を手にすることができるのは上位1%でも無理です。例えばプロ野球選手になっても、華々しく活躍できるのは全体の1/3(一軍)×1/3(レギュラー)=1/9で、まずプロになる時点で甲子園で大活躍した選手でも厳しい(2015選抜で準決勝で二打席連続満塁HRを打った少年でもプロ入りは実力的に厳しいだろうとするスカウトの記事も読みました)のに、一体何%がトータルで見て社会の平均年収以上稼ぐことができるのでしょうか。日本の人気トップスポーツでもこれです。平均引退年齢が20代のプロサッカーはどうなるのでしょうか。この点に鑑みると自分は子供が生まれても、勉強の道を勧めない勇気はないです。
上位1割程度という数字は、同世代で見ると日本のMARCH関関同立卒以上の学歴保有者と同程度の比率です。この程度勉強すればある程度以上の暮らしができることをビッグデータは証明しているのです。しかし、「勉強の絶対的価値」は人生のアーリーステージからミドルステージに進むにつれ、つまり投資されたポジションが成熟していくにつれ絶対性が希釈されていくと思います。これは投資のボラリティが減退するからです。ただ、受験や就活といった一連の精神が参るイベントが終了して、この「勉強」することを軽視する人も同時に減少していくような感を得ています。ではなぜ絶対性が希釈したミドルステージに置いても勉強が大事なのでしょうか?
これには様々な解答が出来ると思いますが、僕はその勉学に向かう姿勢が将来CF期待値(r)の上昇を創出し、DCF的に算出される自分という投資の現在価値が高まるからだと思います。あるシニアステージの方も、「振り返って考えると、周囲で最後まで出世している人は立ち回りが上手いタイプではなく、実直な勤勉家タイプばかりだ」と仰っていました。これは立身出世において重要な「忠誠」という要素も関係していると思いますが、以上のように勉強を続けることはアーリーステージ以降も肝要であることは否定できないかと思います。なお、友人から助言があったのですが、これはリスクをとりたくない人が正攻法で生きたい場合の話で、他人に評価されるために生きるなら、の話です。
長い文章ですいません。上の情報は個人の見解なので間違ってる前提で読んでください。え、僕ですか?連休なので昨晩徹夜でモンハンしちゃったので戒めで意識高いこと書いてます笑 明日から仕事頑張ります