2021年が終わる。


半年前。


自分自身の備忘録として始めたこのブログ。


数年後、もしくは数十年後に、あのときはこんな気持ちだったなーと笑って言える日がくると信じて…と最初に綴ったような気がする。


自分の正直な気持ちを忘れないために。


反省を活かして、次に繋げるために。


気持ちが落ちたときの比較対象として。




色々と目的はあった。


だけど、一番の目的は、


自分がもし、


本当に本当にもうダメで、命を絶ってしまったときに、どんなことを思っていたのか、何を考えていたのかを、家族に少しでも残しておきたい。


そんな気持ちで始めたと思う。


そのための記録であったと思う。


家族がその存在を知らなくても、どこかに何か残してあるという気持ちが、自身の安心材料になったのかもしれない。






そんな気持ちで始めたこのブログが、皆さんの目にとまって、何らかの反応があった。


共感、反感。


読んだあと、色んな反応はあると思うけれど、誰かに気にしてもらえることは、やはり嬉しいことなんだと思う。


こんな駄文を読んでくださることに、本当に感謝している。







今後、自分はどんな道を歩むのかわからない。


来年の離婚調停が、どんな結果になるのかも。


子供との面会も。


家族の将来も。


自身の将来も。


さらには、コロナも。


またコロナが爆発的に広がって、ICUが満床になるかもしれない。


また別の災害が起きるかもしれない。


先は見えない。


まさにVUCAな世の中だ。




そんな中での私は、


未来への希望に満ちているのか。


どん底まで落ちてはいるが、そこに一筋の光が差し始めているのか。


はたまた、まだ絶望の淵にいるのか。


どんな気持ちでいるのだろう。









しかし、自分は、今自身にできる最善を尽くす。


それしかできない。


自分は決して器用な人間ではない。


器用な人生を歩むことはできなかった。


いつも遠回り。徒労。


その繰り返し。


そんなことばかりやってきたような気がする。


だけど、どんなときでも、人生に絶望しても、自殺を考えても、何かがそんな自分を踏みとどまらせてくれた。


まだそっちに行くな!と呼び止めてくれた。


こんなクソみたいな人生…って思ったこともあったけれど、きっと自分はいつでもその気持ちを持っていたのだと思う。


明日はきっといいことが起こるかもしれないと。


きっと何かが変わる、変えることができるかもしれないと。


そんな希望を持っていたのだと思う。









かなり昔に観た映画を思い出した。


主人公が絶望的な状況に追い込まれても、胸の奥に秘めていたもの。


どんなに苦しくても、自分の人生をよいものにしようと、できることは全てやって、もがいていた。





「希望はいいものだよ。最高のものだ。いいものは決して滅びない」




主人公のセリフは確かこんなだった気がする。










結局、人はいつか必ず死ぬ。


老、病、死、を避けては通れない。


それは真理であり、何人にも曲げることができない。


ただ、どんな死に方をするか選ぶことができる。


それに、その人生にどんな意義があったかは、自分で決めることができる。



願わくは、私は自分が心から納得できる死に方でありたい。



子供たちに会えないことを苦に自殺…


それも一つの人生だ。


実際に考えたこともある。


ただ、私は、もう少し、もう少し別の人生でもいいかな?と思っている。




決して、誰かの人生を否定する気持ちはない。


その人の気持ちは、その人にしかわからない。




ただただ、私にとっては、『少し別の』と感じただけだ。



そう感じる理由は、やはり自分を形作ってきたもの…。


価値観。


考え方。


支えてくれる人々。


なんだと思う。




両親、親戚、友人、同僚。


そして、このブログを読んでくださっている方々。




自分と関わってくださった人々に感謝したい。





2021年も、終えることができた。


2022年を無事に始めることができる。




2022年は、きっと、何かいいことがある。


いやむしろ、自分で何かいいことを始めよう。


何かを変えよう。


そう思う。









皆さんの健康を、心から願っています。


よいお年をお迎えください。



2021年12月31日


スカイツリーが見える荒川のほとりにて。


T.N.