一般に「○○すべき」と表現する場合、
仮にそれが個人的な意見であっても、
“客観的な結論“であることを示そうとします。
妥当性を裏付けたいわけです。
いろいろな示し方があると思われますが、
「メリット、デメリットの評価」や
「他の案との比較」が典型的です。
いずれにしても、
妥当性の根拠は、“量“です。
“損得“です。
客観性をアピールしたいわけですから、
定量化や他との比較が重要になってきます。
では、
相手が自分だったらどうなんでしょう?
自分のことでも
「毎日勉強すべきだ」
「家族との時間を大事にすべきだ」
「好きなことを仕事にすべきだ」
・・・
という「すべきだ」発想は適しているのか?
・自分が何かを選択するのに、客観性は重要なんだろうか?
・自分が自分を説得する必要があるんだろうか?
・自分の選択基準は“損得“なんだろうか?
もちろん、自分が選択することは多様ですから、
“選択すること次第“という見方もできます。
では、
「試験取得(あるいはそのための対策)」はどうでしょう?
「仕事」はどうでしょう。
客観的な判断を前提にすることでしょうか?
「資格取得をしよう」とどうやって決めました?
「いまの仕事」はどうやって決めました?
主観は排除したほうが、選択は妥当なものになるでしょうか?
少しでも気になったら、
時間をとって、検討してみましょう。
自分に対する理解が深まることが期待できます。