気に入らぬ
事もあろうに
柳かな
堪忍の
なる堪忍は
誰もする
ならぬ堪忍
するが堪忍
堪忍の
袋を常に
首にかけ
破れたら縫え
破れたら縫え
一度怒り出すと
自身のお袋さん迄
蹴飛ばしてしまう
乱暴者の男が
主人公の落語の演目
『天災』に於いて
登場をする
良い意味で
酷く教訓めいた
川柳と和歌。
個人的には
先祖代々
浄土真宗の門徒である事を
大変誇りに思っておられる
大店の親父様と
其の昔の表現で申す所の
耶蘇教の考え方に
すっかり染まり切ってしまった倅殿とが
おかしみを交え乍ら
言い争う中
意外な立場の人物が
割って入って
御二方の矛を収めさせようとする
『宗論』に登場をする
宗論は
どちら負けても
釈迦の恥
此の古川柳と同じ位
迚も好きである。
で、肝心の本篇だが
此の物語の主人公は
良くも悪くも「青い」年齢で
地の文によれば「少年」とあるから
察するに、元服の儀式を済ませて
まだ年月が浅いのだろう。
物語は其の少年が
酷く御立腹な態度を
自身の叔父上に対して見せつけ
且つ良い意味で
大変に利いた風な
口振りをしてみせる
描写から始まるのだが
もどかしさとか
或いは苛立ちとかが原因で
ついカッとしがちだった
10代…特に10代中頃の
自分を、と言うか
自分の酷い醜態…を思い出す様で
初っ端から何とも言えない
面目無いやら恥ずかしいやらな
気持ちになった。(苦笑い)
と言うか、させられた、と言った方が
此の場合、正しいのやもしれない。
とは言え、流石に
太宰治の『走れメロス』の
主人公である所のメロス程
「怒り」の部分を
剥き出しにして居た訳でも無いし
無分別でも無かったが。
そう言う時
若者の振り上げた拳を
素直に下ろさせるのは
大人の役回りと言うか
大人なりの方便である。
少年の主張に対して
じっと耳を傾けていた叔父上は
さも神妙そうな顔つき
そして口振りで
少年の怒りを
上手く解きほぐす方向へと
転がしにかかるのだが
少年は見事
叔父上の策に「引っ掛かり」
結果、人間の程度が
一段階上がる、と言う
結末を迎えるのであるけれど
他者からの言葉
此の物語である所の
助言を素直に受け止める
此の心持ちは
不要・無用な
フィルターが
実に多過ぎて
ついつい
複雑怪奇になる一方の
現代社会に於いても
大変必要不可欠な要素だ。
そもそも論として
怒ってみたり
腹を立てたりしてみた所で
ただただこゝろがすり減る
そして腹が減る一方である。
大した事は出来ずとも
一歩立ち止まる。
其れ位の余裕は持っておこうと
此の短篇小説の朗読を
朝早い時間に耳にして
感じさせられた九月初旬なりけり。