松文館裁判を再度考察する(まとめ) | オタクフラクタル次元

松文館裁判を再度考察する(まとめ)

長々とやってきた松文館裁判の再考察ですが、結果的に核であった「わいせつ」性は否定されないものの、
わいせつであっても成年市場への流通には何も問題がないことが、松文館裁判で引用した過去の判例から判明しました。

今回はまとめなので、そこまでの流れをおさらいしてみます。

【松文館裁判判決】
第3 本件漫画本が刑法175条のわいせつ物に該当しないとの主張

当該文書の性に関する露骨出詳細な描写叙述の過程とその手法、描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味に訴えるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、それが『徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの』といえるか否かを決すべきである。というわいせつ性の判断基準・方法について、上記四畳半襖の下張事件判決の示した判断基準・方法を踏襲した前記昭和58年3月8日第3小法廷判決参照。)

 その理論だと全部のエロ本ダメじゃね? おかしいだろ
 んじゃその四畳半襖の下張事件判決を見よう
【四畳半襖の下張事件判決】
文書の支配的効果が専ら読者の好色的興味にうつたえ、普通人の性欲を著しく刺戟興奮させ性的羞恥心を害するいやらしいものがいわゆる春本である。そして、春本は精神的自由として憲法の価値体系上高位の価値を認められている思想、信条、信教、学問などの表明とは明らかに無関係のものであるから、事前の検閲に服さないという限りで憲法上の保障をうけるとしても憲法21条1項の表現の自由の保障をうけるものではなく、その頒布販売を処罰の対象とするか解禁放任して自然淘汰に委ねるかは立法政策の問題であるにとどまる
(中略)
この種のわいせつ文書の頒布販売をも処罰する刑法175条の合憲性判断の基準としては、所論の主張するいわゆる明白かつ現在の危険テストではなく、いわゆる合理的関連性テストで足りると解される。

 あれ? エロ本は別問題ですよって書いてるぞ?
 エロ本が刑法175条によって頒布販売が規制される条件は
 合理的関連性テスト結果次第かー。

【条件】
わいせつ文書の公表が、右の憲法的価値の実現に資するゆえに善良なものと観念される性の道徳、風俗あるいは秩序に対して長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題並びに日常生活の質の向上、社会の品格の維持、わいせつ物の未成年者からの隔離などの国民的利益に対しても長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題

 つまり性の道徳、風俗、秩序、質の向上、品格、
 経済的・犯罪的な実質的利益に長期的な悪影響があるかどうかが条件

【調べた結果】
道徳、風俗、秩序、品格、犯罪は悪影響がない。
質の向上と経済的なことはわからなかった。
(しかし経済面で発売禁止が許されるのか?)

この種文書の入手を欲する成人に頒布販売することを刑法175条により規制しても、これまた憲法21条に反するものではない。

証明されたから成人に頒布販売することは合法。刑法175条は違憲

成年限定で販売して問題ない ←イマココ!!




ですね。この時点で松文館裁判の不当さが証明されたのですが、こういった性が絡むサブカルチャーの問題点というものをこの裁判から学ぶ必要があります。
実際に裁判官が正論な部分もあります。絶対的にいちゃもんをつけられない方法や、解決策や妥協案を探すのも無駄ではないはずです。



■エロ本から学ぶ性が絡むサブカルチャーの問題 【解決策編】

松文館裁判の弁護側証人尋問 の全てを含んで結論を。
証人・宮台真司氏
証人・園田寿氏
証人・斉藤環氏
証人・奥平康弘氏

最も正鵠を得ているのが、やはりというべきか憲法学者の奥平康弘氏です。

―以下引用―

弁護人:その立場に立つと、わいせつ文書が実際に社会に対して、いかなる実質的害悪を引き起こすかということを経験科学的に立証しなければいけないということになるわけですね?

証人:そういうことだと思います。だけどチャタレー判決で、いわゆる3要素等がそれとどのように絡むかということは、問われたことさえもない。
今まで3要素が金科玉条として、スタンダードとして支配してきているのだけれども、それは害悪論とどう関係するか?実質的害悪って起こりましたか? 単に迷惑というんじゃない、もっと社会として取り締まらなくちゃならない、社会としてその人に不自由を強いる実害って一体何なのか?ということを、最高裁判所は1度も問うたことがないというふうに思います。
―引用終わり―

引用部分から後の流れが最高に理解と説得力を含みます。
何せ松文館裁判でも過去の判例を引用したくせに、その害悪というものの証拠を一切検察も裁判官も示していないからです。何が害悪なのか? 社会としてその人に不自由を強いる実害とは? ありませんね。
何故これが証拠とされなかったのかが理解できないほど完璧な証言です。
中でも名言なのが

「あらゆる脈絡を超えて、どんなシチュエーションでも、いかなる場合でも、だれに対しても、できないと。つまり、もの自体の価値というものを、国家が、およそ、いかなる意味でも、だれに対しても、どんなコンテクストであろうとも、未来永劫とも、今の国家の時点では、それは取り締まることができるんだという前提自身が、表現の自由ということとの関係で言うと、まずいんじゃないかと」

ですね。何度も何度も国が出版物の価値を勝手に決めることは民主主義にあって許されることではないと熱く述べています。目頭が熱くなる……当たり前のこと言ってるだけですが荘厳なおじいちゃんです。

そして、過去の判例を批判し、憲法学者の視点から「見たい人の権利と見たくない人の権利」を主張し、宮台真司氏と同じ結論に至ります。

それは 『ゾーニング』という住み分けの理論で、出版業界が自主規制しているものであり、現在でもやっている所はやっている、所謂18禁コーナーの設置というものです。

しかし 【松文館裁判 】 ではこれも


第5 「頒布」行為に該当しないとの主張
 所論は、本件漫画本は青少年健全保護育成条例上の有害図書に該当し、そのことを外見上明らかにするための工夫がされており、同条例を遵守する書店ではゾーニング(区分け)されて販売されているから、「頒布」に該当せず、また可罰的違法性を欠くというのである。
 確かに、本件漫画本が出荷されるにあたり、他の有害図書と同様、中身が見えないようにビニール袋で包み、表紙には「成人コミック」というマークを入れ、販売にあたる多くの書店において他の書籍と区別して販売していた可能性が高く、本件漫画本を見たくない人、見せたくない人の目にできるだけ触れないよう工夫がされていたことは事実である。しかし、これらの措置、工夫は事実上のものにすぎない上、見たい人に対する規制とはなり得ないから、ゾーニング等販売上の工夫を理由に頒布に当たらないとか、可罰的違法性を欠くということはできない
意訳しますと、
「ゾーニングの努力は認めるものの、それは形骸化しており見たいと思う未成年に対して規制が出来ていないから罰を与えるのは妥当と判断する」

と反論しています。
ここが私の言った正論です。
確かにゾーニングというものは自主規制の範囲に止まり、購入の際に年齢確認を義務づけていません。
客の風体・容貌で成人だろうという判断を臨機応変に下しているのが現状です。
さらに言うならば、店の広さと客層の関係で、空間的と視覚的に隔絶していない店があるのも事実です。
現にコンビニはゾーニングがされていませんし、所謂オタク系ショップでも小さい店はやっていません。

ですのでここは同意します。
早急にコンビニから成年雑誌の撤去と、空間と視覚の両方を満たすゾーニングが出来ない店は取り扱いを禁止するべきです。全面的に同意をしましょう。

しかしですね、オタクの全てが思ったんですよ。そんなに「見たくない権利」が重要視されるのだろうかと。
だって「酒とタバコ」もエロ本と同じ購買条件じゃないですか。
ちょっと考えても酒が一番悪いです。飲酒運転でどれだけの人が年間死んでいると思いますか?



年間約400人です。1日に一人飲酒運転が原因で死亡しています。
大人でこんなに発生するなら子供に買わせるべきじゃないですよね? 未成年と見られる人に年齢確認義務を私は求めますよ。
お父さんのお遣い? 親を呼んでこい!! って言いますね。

余りにも不平等なんです。犯罪データを見てもエロ本の実質的害悪はないんですから、正論ではあるものの年齢の提示義務はこの観点から言うと自主規制に止まるべき問題なんです。
「絶対的にいちゃもんをつけられない方法や、解決策や妥協案を探す」と既述しましたが、私がゾーニング徹底論に賛成するのはこの絶対的にいちゃもんをつけられない方法という意味です。
正論ではあるが、相対的に観ても害悪がない上に自主規制に止まる問題を義務化するのは、「青少年でも買えるじゃないか!」という反論する余地を与えないためです。

実際こういう「法的拘束力がないから嘘をついて買った未成年」を自己責任で問わない人が良く出ます。
サイバーポルノの規制派 (バーチャル社会のもたらす弊害 から子どもを守る研究会)はそうですね。
18歳未満ですか? の質問に嘘さえつけば見られるなんて公式に言ってるんですよ。
一体どうしろとw フィルタリング使いなさいと言っても聞かないですからね(汗)

そして「妥協」というのはそういった人達を完全に黙らせるために不平等を強いられることを指します。
それによって「解決」すると。

以上が松文館裁判で学ぶべきサブカルチャーの性問題ですね。


―これで松文館裁判の再考察を終わります。

結局松文館裁判を洗いなおすと、過去の四畳半襖の下張事件に集約してしまうという面白い展開になってしまいました。
過去に一度考察した時は、松文館裁判だけで考えてうんうん唸ったものですw
何度読んでも考えても検察と裁判官が悪影響、すなわち保護法益の方が優先されるべきという確たる証拠がないので説得力と納得の行く弁護側の勝ちだったんです。

しかし改めて再考察をすると「なんだ検察も弁護側も何もわかってないじゃないか」ということに気付きました。

それは「わいせつ」とは何か? という根本の問題。
大体未成年を視野に入れてないのに「わいせつ」が青少年に問題があるか? と問い詰める検察
エロ本だけが別問題ということを知らずに従来の「わいせつ」定義で勝負した弁護士

ただ3人の裁判官だけは狡猾でした。
過去の判例からエロ本だけは別問題で論じるべきだと知っていながら判決を下しているのです。

日本は判例主義らしいですから、こんなわけのわからない裁判結果でサブカルチャー文化が衰退するのは避けたいですが、私はどうしてよいやらわかりません………

せめてこの文章で松文館裁判がいかに不当だったのかを一人一人考え、心に刻んでもらうことしか思いつかないのです。


ここまで読んで頂いてありがとうございます。ではでは。


※おまけ→ 「密室」が発禁となったので、一つの指標が出来たのでご紹介

エロ本が認められるには……

「強姦・薬・鋭利物の表現禁止。
また局部のアミカケは黒か白のベタ塗りが好ましく
次々と体位を変えることを許されず和姦であろうとも生々しい表現は出来ない。
全ページ数6割を性描写のない物語とし、作者の思想を交ぜ残り4割を性的刺激が少ない普通の描写とし、
全体的に見て芸術・思想が汲み取れるよう努力する」


こんなエロ本いらねぇ('A`)