はい、おはようからこんばんはの人までこんにちは! TakaHEROです。

 早速、すっかり更新しなくなってすいません!
っでも結構がっつり書くつもりだから許して下さい。昨日は代々木laboにてライブでした~
いや久々に良いバンドに会ったなぁと思い、思わず撮ってしまった一枚。
{3A4645DF-C7CB-444D-B584-0CF29E3DDBBF}

ダグアウトカヌー。良かったです。これから何かあったらよろしくね。

 それから本日の記事の本題、昨日ライブ終わってメンバー3人で打ち上げがてら飯食いに行った時酔っ払いの俺が何故かひたすら力説をした「知る」という行為の持つ暴力性の話をなんか面白いなぁと思って、つらつら~って書いていきます。
「知る」って行為は結構重要なコミュニケーションの一つで、例えば気になる人と仲良くなりたいとかで重要なツールとして人間って使いますよね。ましてや、好きな異性なんか出来たらその人の事をもっと知りたいなぁ...なんて思いますよね。
俺もやります。「知る」事は大好きです。大好物です。
 っでもこの「知る」という行為は

自分の理解の範疇に収めようとする  
 
という側面を持っている気がする。ここまでは良いとして、よくやってしまう事で

自分の考え方に沿う様に理解を変えてしまう

こっからは暴力性を持ってしまうと思う、例えばネイティヴの人達を言葉から占領していったアメリカ人の様に、自分達が良いと思ったから、それを望んでない他者も自分達と同じ土俵に無理矢理あげる行為、これは暴力だと思う。

 勿論、先程も言った通り、私自身も「知る」というのは大好きで、人もそれ以外の何かも知りたい事は沢山ある。だから、多種多様性という言葉が好きである。人の在り方というのは多種あり多様あるんだと思う。それを「知った気になる」が一番の暴力で、それを「認める」というのが一番の優しさなんじゃないかと俺は思うんだ。
優しさが良いとは一概には言えないんだけどね。

 さぁ...さぁ硬い話はお終いにして。

次回ライブは柏616!
{50BB83EF-DB14-43BE-AB59-E97AE02DDF34}

俺らThe UILは21日!朝から晩までロックな日だよ!是非遊びにおいで!!



ロールを探しに行こうぜ!!
またねー。