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永劫の今日 忘れないとか、思い出すとか、そう言うの正直、ピンと来ない 私の感覚だと、どこか、あの日のまま、止まってしまってる部分が確実に在る とは言え、時は刻々と進み、日常は忙しく次々と雑多が押し寄せ、あの日はこの世に産まれて来てくれてる姪の存在を想像する事すらなかったのに、その姪は小学1年生 不思議な感覚だし、理解して貰えるとも思わないけど、私の感覚を素直に述べてみようと思う あの日、あの場所で、私の時間と世界は止まり、こちら側(現実)の私と分離してしまったように感じる、全ての感情の大半がその止まった世界の私が抱いてるようで、現実の私の目まぐるしく変わりゆく世界に何とも言えない違和感と言うか、他人事と言うか、とにかく絵空事のように感じてしまいリアルを感じる事が出来ない部分が在る あの日からも時間は変わらず流れ続け、毎日日は昇っては沈み、季節は巡るのだけど、逆にこの現実こそが幻想なんじゃないかと思ってしまう自分が居る 本当に故郷は消えてしまったのか、本当にあの方々は逝ってしまったのか、本当に私の愛した全ては無くなってしまったのか もしかしたら死んだのは私で、この私の生活は死んだ私が見てる夢なのではないのか、そんな事も時々考えてしまう、勿論、そんな事は絶対になくて、私は確実に生きてるって頭では理解してるんだけど、心がいまだに追い付かない そんな私に何より強く、今を実感させてくれるのが、花であり、植物 美しい花は必ず枯れ、枯れる事で流れ続け留まる事のない時を教えてくれる もう一人の私が住み続けてる故郷で、もう一人の私に花を渡した、もう一人の私も花が大好きだから もう一人の私は、今頃、家中を椿で飾ってるはず、海沿いの防風林には摘んでも摘んでも減らない沢山の椿が居たから、この時期は家中に椿が溢れてた その椿達はこちら側からは消えてしまったけど、もう一人の私が居る世界で艶やかに色香を惜しみなく放ってるはず あちら側に居るはずの草花が、時々こちら側に戻って来てくれる事が有る ほら、あちら側の私が愛した水仙やチューリップが芽吹いてる 今日、こちら側の世界は暖かい あの日がこんな日和だったら、どれだけ救われただろうかと思ってしまう、そんな事を嘆いても何も変わりはしないのだけど、あの日の冷たい海水と風と雪が今も私の心と体を冷やし続けてる どんなに温かくても、どんなに幸せを感じてても、どんなに嬉しい事が訪れても、永劫となったあの日が私の中に居る 哀しみが癒える日が来るとは思えないけど、人って、慣れるんです 慣れるって、成れるに通じる救いなのかも知れません、良く言うでしょ、習うより慣れろって #311#藤塚#被災地

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