時間って何だろうな、なんて意味のない事を考えたりするのが好き
黄色のクロッカスが一気に咲き揃った
一気に咲き揃って、一気に萎れた、今は、控えてた紫が咲いてる
ブログを放棄してた1週間、この1週間の庭は躍動に満ちてた
上の写メの翌日には・・・
来週は、まだ蕾の白が綻び、咲き進み、満開を迎え、あっという間に萎むんだろう
再会出来るのは1年後、そう考えると感慨深くなる
時間は流れると例えられる、流れるのなら、上流と下流が存在するはずだし、源泉と最終地点も存在するはずだ
時の源泉がビックバンだとするなら、時の最終地点は現宇宙の終わりを示すんだろう・・・
時の瀬に乗る早春の球根達はクロッカスに留まらない
この子はシラーシビリカ、他の場所にも植えて有るけど、必ずこの子が1番に咲く
シラーシビリカに追い付こうと水仙達(ティタティタ)も時の瀬に乗り込む
写メの翌日には1番花が綻んだ
余りに風が強くて写メを撮れなかったけど、今は3輪咲いてる
1日は24時間、1週間は7日、1年は365日、私達はそれを当たり前だと思い込まされ、思い込まされると同時に都合良く乗じても居る
でも、植物にとっての時間は違う、同じ24時間でも沢山の光りを浴びれた日は光りを浴びれなかった日の何倍も時を進める
風が強かったとか、気温が低かったとか、水が適量だったとか多すぎたとか乾いてたとか、色んな条件で、同じ光りを浴びれた日でも時間の進ませ方を変える
多くの球根植物に取って、冬は休眠期ではなく、活動期、地上部では確認出来ないけど、地下では氷点下でも根を伸ばし続けてる
彼等に取っての休眠期は夏、深い眠りに就く前に、花後は葉を繁らせ、球根に養分を溜め込む
他の草木が葉を落とす頃、彼等は秘かに目覚め、先ずはしっかり根を張り巡らす
写メはミニアイリス、他の子はまだ硬い蕾だけど、この子は真っ先に咲いてくれた
球根植物や宿根植物に取っての時間と一年草に取っての時間も、違うだろう、一年草に取っての1年は一生だ、だからこそ、沢山の花を咲かせて種を作ろうと必死だ、彼等に来年なんて概念はない
1週間前に植え付けたビオラ“ブルーシャドウ”
一年草は一見、儚い泡沫に見えたりもする
だけど、彼等の種は、時に私達の寿命すら跨いで発芽のチャンスを待ち続ける事も有る
種の中で、彼等は本当に眠ってるだけなんだろうか
種の中で見る夢はどんなだろう
目覚めた途端に急速に進む時間
目覚めなければ微睡み続ける時間
時間なんて、本当は存在しないんだ、命が命として存在できる期間だけに感じる事が出来る夢のような存在なんだ
このブーケ、今はもう存在しない
1週間前、ブルーシャドウを植え続ける際、咲いてる部分を摘花して束ねたもの
今は、時の最終地点へ向かう生物分解のステージに居る
生まれる前の世界に還る最後の旅
こうして画像を掲げると、今も存在してるような錯覚に陥ります
存在って、曖昧ね
脳が認識さえすれば、それは、実像なのだもの・・・