名ばかりの立夏
初夏のような4月の後、どれほどの日射しに照らされるのかと危惧してたのに、麦秋と言うより穀雨のような日々
それでも私の最も愛する光景は確実に広がり、その光景は私の海馬を刺激し、様々な記憶を呼び覚ます
小腹が空いた下校途中、道端のスイバを噛り、アカツメクサの蜜を吸った
シロツメクサの花冠、両手一杯に摘んだハルジオン、全てが幼い頃の私に満面の笑みを与えてくれた幸せな記憶
あれから何十年たっても私の根本は変わってない、これらの花を見つけてしまうと摘まずには居られない
寛容な野原の抱擁、いくらでも摘めばよい、いくらでも噛ればよい、それはガイアの母乳のように、餓鬼と化した私の欲求を何処までも満たしてくれる
気づいたかしら?
花器
溶岩を用いた工芸品や、作家物の陶芸に見えたりしませんか?
え?
見えない?
あはは、実は、古新聞とセメントを練って、作ってみたの、着色はアクリル絵の具
砂や砂利を混ぜてないから、とても軽いの、陶器の鉢や岩石の鉢、モルタル鉢もそう、素敵だけど重いじゃない?
底に穴を開けたから、植木鉢にもなる、花を生ける時には“おとし”を入れればOK
草花を引き立たせてくれる武骨さが良いでしょう?
名ばかりの立夏とは言え、やっぱり室礼には初夏っぽさを取り入れたい
五月に入ってすぐに、この掛け軸を出しました
我が家には和室がない、和室がないから床の間もない、だから、玄関を床の間がわりに季節を楽しんでる
こっちにもスイバとハルジオンを立てました、ちょっと華やかさが欲しくて小さな花器にビオラを添えてみた、スイバとハルジオンを立てた花器は青銅、やっぱり重い・・・
その重さも、とても大切
季節は移り、気がつけば幾多の花が過ぎたことか、クロッカスの芽吹きに心弾んで居た頃が遠い昔のようにすら感じる
幾多の花を見送りながら、ビオラは咲き続ける
クロッカス、チオノドクサ、シラー、ミニアイリス、ヒアシンス、水仙、ムスカリ、ベロニカオックスフォード、ベロニカマダムマルシア、ライラック、イオノプシス、スキミア、ビバーナム、エンゴサク、チューリップ、ラブラドリカプルプレア、私の庭だけでも、これだけの花が咲いて、そして散って行った
ワスレナグサもオオデマリもモンタナも、もう少ししたら散るだろう、その後も、このビオラ達は咲き続けてるはず
そう考えると、ビオラって、本当に凄まじい花だと思う
植え付けた時の元肥いらい追肥もしてなければ、刈り込みもしてない、せっせと欠かさない事は、早目の摘花だけ、もうすでに何百摘み取った事だろう
それでもこの美しさ、庭人さんが生産する霧島からの贈り物、平塚弘子さんが紡ぐ育種ビオラ、賛否両論あるのは知ってるけど、私は本当に素晴らしいと思うし、私はもう、すっかり魅了され、他のビオラを招く気になれなくなりました、たぶん、もうビオラとパンジーは種まきもしない、庭にはこぼれ種から産まれる我が家のミニミニビオラちゃんで充分
庭人さんのビオラを高いと仰る方々も少なくありませんが、胡蝶蘭より長く咲く花って、他には紫陽花くらいじゃない?
そう考えると、霧島からの贈り物って、とてもリーズナブルだと思うのよね・・・
今日も御覧になって下さり有り難うございます
ではでは
ごきげんよう♪
紫檬