不思議なもので、この時期、1度は観ておかなければならないような、妙な焦燥感にかられて無視できない存在、桜、見に行かない方が逆に疲れる、と言うか、見逃してしまうと例えようのない罪悪感じみた後味の悪い感覚に苛まれてしまうので、魂の要求に応えてしまったほうが楽だ


でも、私は、どうしても、花見で賑わう場所が苦手だし、広場や公園に植樹された桜を愛する事が難しい気質なので、ちょっと変わった場所に出向いて桜を仰ぐ


この感じが、とても好き、黒く繁る針葉樹の巨木達、その奥で、狭間で、女神のように点在する桜


いにしえ人の植栽術に幾度も感銘を受ける、急傾斜に疲れ、一息つきたくなるような場所から少し離れた場所に桜が居る、それはまるで幽玄世界からの手招きのように輝きに満ちていて、吸い寄せられるように、また歩きたくなる


何もかもが、丁度よく、心地よく、美しい

花見客を寄せる広場や公園の桜達とは何もかもが違う、荘厳で、眩くて、そして妖艶だ、まるで狐につままれているかのような白昼夢的な幻惑に手招きされ、釣られ、踊らされながら、歩みを進めてしまう


桜を際立たせる匠の植栽術、桜だけを連ねた景観にはない、美の骨頂とも言える凄みを帯びた何かが在る、確かに在る、それは“キレイ”とか“カワイイ”とか“キュン”とかでは全くない、真の艶やかさ、経年の美、そこには限りない畏怖が蠢いてる


桜を追ううちに、感覚が研ぎ澄まされ、深山に自我が呑み込まれて行くのが分かる


時々騙されながら、そう、また桜だと近付いてはならない、この花木は遠目桜

辛夷の巨木をそう表現する、確かに遠目では桜と見紛う、この植栽もまた先人の粋な遊び心だと感服


この山は、実は伊達政宗の霊廟、瑞鳳殿


御山丸ごと1つを悠久の眠りの場になさってる、偉人にしか許されない永劫の贅


桜の手招きに誘われながら、英雄を偲び、いにしえに想いをはせる

御覧の通り、御山が至上の美を惜しみなく披露する頃なのに、人通りはほとんど有りません

公園や広場の桜の裾で繰り広げられる狂瀾怒濤の乱痴気騒とは異世界のような、しっとりとした静けさに包まれて居ます


様々な種類の椿も艶やかでした


今日も御覧になって下さり有り難うございます

ではでは

( ´∀`)/~~

ごきげんよう♪