\元不登校でも自分らしい生き方で輝ける/

人生のシナリオを手帳とノートで書き換える

心とノートの研究家 たかちゃんです!

 

初めましての方へ

 

自己紹介をさせていただきます♡

 

 

もともと私は、

 

約2年ほぼ登校なしの不登校

 

マイナス思考で、引きこもり

 

電車に乗れなかった時期や、

 

不眠で昼夜逆転生活の日々を送っていました

 

 

 

 

私が生きている意味なんてない」

 

「今すぐ消えてなくなってしまえたらいいのに」

 

「なんでこんなに苦しいの?」

 

「誰も分かってくれる人なんていない」

 

と、毎日毎日考えていました。

 

 

 

 

それが今は

 

「毎日わくわくして幸せを実感!」

 

「生きててよかった💓」という充実感

 

「私らしさを表現しながら生きるって最高✨」

 

と、思えるように!

 

 

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今では

 

子供のころやってみたかったことや

 

好きなことを思い出し

 

前向きな気持ちで行動を積み重ね、

 

夢を叶えていく日々に変化していきました!

 

 

 

 

少し長くなりますが、

 

私のコレまでをご紹介します♪

 

かなーーーーーり長いので、

ざっくり読み飛ばしてくださいね笑

 

 

 

♡子供時代

 

 

あまり活発な方ではなく、

 

おとなしい方の子供でした。

 

勉強はそこそこできたけど、運動はからっきしダメで

 

足が速くなかったことや

 

体力がなかったことがコンプレックスでした。

 

だから持久走はとっっっても嫌いでした。

 

 

 

 

♡高校生時代

 

大阪では上から数えた方が早い!という

 

偏差値高めの高校に入学しました。

 

 

 

でも、

 

「高校受験が終わったら、やっと勉強地獄から解放される!!」

 

と思っていたのに

 

入学して早々、進路希望調査で

 

「目指せ国公立!」

 

「難関大学に行かないやつはいい人生送れないんだぞ!」

 

というプレッシャーをかけられて

 

ものすごーーーーくゲンナリしました笑

 

 

 

まだまだこの「いい学校に行け」空気かよ‥と思って息苦しさを感じたことを

 

今でも思い出します。

 

進学校あるあるですよね・・・

 

 

 

 

そんな感じなので、

 

クラスメイトは友達でもあり、超ライバル意識がお互いにありました。

 

 

 

 

もともと、みんな中学生時代は「頭いいね」と言われてきた人たちですが

 

「頭がいい」集団に入ってしまうと、その中でも優劣ができてしまうんですよね。

 

 

 

だから、

 

みんな必死で上の順位を狙いに行くし、

 

下の方の順位になるとバカ扱いされるわけです。

 

もともと「頭いい」人たちのプライドはズタボロになるわけですね笑

 

 

 

私はそこで挫折しました。

 

 

 

高校1年の初めての定期テストのタイミングで

 

祖父が亡くなりました。

 

誤嚥性肺炎でした。

 

 

 

 

祖父の肺は、レントゲンではもう真っ白になっていて

 

病院に着いた頃にはもう息も絶え絶えでした。

 

初めて、身近な人がまさに死にゆく瞬間をまざまざと見ました

 

父と母の泣く姿で

 

なぜか

 

「私は泣いちゃいけない。長女なんだからしっかりしなきゃ」

 

と自然と思っていました。

 

 

 

 

必死に込み上げてくる涙を我慢して。

 

 

当然葬式やらなんやらで忌引きをするわけですが

 

私は定期テスト中です。

 

 

 

当時の担任に相談したら

 

「近親者の忌引きなら、次回テストの点数を100%で置き換えるから休んでも大丈夫。そのかわり、次のテストはがんばれよ」

 

と言われました。

 

 

 

でも、いざ学校に戻りテストの返却の時になったら

 

みんなは自分のテスト勉強で必死なので

 

私が欠席していたことなんて知らないのです。

 

 

 

 

だから

 

「たかちゃん何点だった⁉︎」

 

とごく自然に聞いてくるんですね笑

 

受けてないから0点です。

 

学年順位も、最下位ではなかったですが、下から2番目でした。

 

 

 

「たかちゃんやばいやん!!笑」

 

と何も知らないクラスメイトから

 

ごくごく普通に言われたことがとてもショックで(繊細笑)

 

そこからずっと勉強できない子扱いを受けることに‥‥

 

おじいちゃんが死んだショックもあり、

 

教室で何度か過呼吸を起こしました・・・・・。

 

 

私、どうなっちゃったの!?」

 

 

と、ものすごい不安にかられていたことを思い出します。

 

 

 

 

さらに生徒会も部活も塾もやって、

 

いつも深夜に帰宅して、

 

さらに遠い学校だったので朝も早く、

 

とうとう体力も限界で。

 

 

学校行きたくないな・・・

なんとか休めないかなあ。でもいかなきゃなあ・・・。

 

と思っていた頃

 

2回目の定期テストがやってきました。

 

 

担任からは

 

「欠席者は、次回のテストの結果を80%で欠席回に充てることになるから」

 

忌引きもそうなるからね、と言われたのです。

 

 

 

 

思春期真っ只中で、

 

味方でいてくれるはずと思った担任にそう言われたことが

 

ショックでショックで。

 

担任の先生には裏切られたような気持ちになり

 

学校や先生が「信じられない」と思った途端

 

学校に入れなくなりました。

 

そこからは不登校です。

 

 

 

 

進級するための単位が、

これ以上欠席すると取れない

 

と言われたことをきっかけに

通信制の高校を探し始めました。

 

担任からは

 

「学校を辞めるのは本当におすすめしない。

 

この高校にいれば、受験で有利になるけれど、

学校を変えれば学歴に傷がつく。

 

一年遅れてでもこの学校を卒業した方がいい。」

 

 と言われました。

 

 

 

「先生は自分の保身や学校とかブランドや学歴ばかり考えていて、

私自身のことは一言も言ってない。全然わかってない。」

 

と感じて学校を変えよう・・・と思いました。

 

 

今思えば、そういう形の愛だったのかも‥と思うものの当時は、

 

 

 

「もう無理。誰も信じられない。もうここにはいたくない・・・。」

 

という思いで一杯一杯になり、学校を変えることになりました。

 

 

 

 

学校を変えてからは、驚きの連続でした。

 

進学校の常識全部が非常識の世界でした笑

 

でも、どこか達観していた子が多かった印象なんですよね。

 

 

 

テストの点で人を見下したり

馬鹿にしたりする子はいなくて

 

極端なライバル意識もなかったし

 

中には、プロのスポーツ選手になる夢を持つ子

芸能の活動をしている子もいました。

 

部活動や学園祭みたいなものは活発じゃないし

 

アニメやドラマで見るような青春学園物語はなかったけど

 

 

受験のために必死になっていた前の学校より生き生きしている気がしたんです。

 

 

 

「必死で偏差値を維持しなくていい」

「いい学校に行くために生きなくてもいい」

「しょうもない学力プライドも、劣等感も捨てていい」

 

 

頑張っている自分

 

高い偏差値を維持する自分

 

そうでなければ価値がない!と思っていたけど

 

そうでもないのかも。

 

 

 

好きなことや、勉強以外のことをやってもいいのかも。

 

そう思って手先が器用だった私はハンドメイドに没頭しました。

 

 

 

そして、作った作品をイベントで販売したり

 

友達にプレゼントすることで、自信に繋がり

 

それがたのしくて、心も安定していきました。

 

作ることで心が整うって不思議だな、心って面白い!と思った私は

 

心理学部のある大学に進学することにしました。

 

♡大学時代

 

心理学を専攻し、心の勉強を進めましたが

 

この時はまだ学問としての心理学という感覚でした。

 

なかなか実際の生活の中に落とし込むイメージがつかず

 

公式は覚えているけど実際に使えない・・・という状態だったなと思います。

 

 

 

でもその中で、実は自分が勉強が好きだったと気がつきました。

 

 

高校時代やらされ勉強がつまらなかったけど、

 

興味があることを学ぶのってすっごく面白い!!

 

自分で選んだらこんなにもワクワクできるんだな・・・

 

 

と思いました。

 

だから、いよいよ就職活動の時は「自分で決める」をモットーに。

 

 

 

 

親や、先生や、同級生の話を聞いて、鵜呑みにしないで

 

自分ではどう思うか?をかならず考えよう、と実践。

 

 

 

 

話を聞くだけだと、ついつい鵜呑みにして振り回されてしまうから

 

とにかく話の内容をノートにメモして

 

 

 

 

後から自分で見直して

 

どう思う?と会話し続けました。

 

 

 

 

 

自分で選択していると、行動が加速する、自分との約束を守るようになると実感しました!

 

 

 

 

 

おかげで、第一志望の会社から内定をもらい、就職しました。

 

♡社会人になってから

 

 

当時大阪から出たことのない私でしたが

 

なんと配属先は「仙台」!

 

 

 

 

 

え、仙台?と思って、地図で場所を調べたのを思い出します。笑

 

 

 

 

「岩手の下だっけ・・・?」というなんとなくの位置しか把握していませんでした。

 

 

 

 

会社の人事担当の方から、両親から反対される可能性があるか?を聞かれたり

 

反対された時の説得の方法もレクチャーされて

 

 

 

 

「反対されたらどうしよう!?」とドキドキでした

 

 

 

 

でも

 

 

 

「私が決めた会社で、私がいきたいと思ったから、そのようにさせて欲しい」

 

とストレートに気持ちを伝えたら、

 

「決めたんやったら行っておいで」と送り出してくれました。

 

 

 

 

でも、実際社会人になってみるとハードでした。

 

 

 

 

着任してひと月で同じ県を担当していた1年上の先輩が突然出勤して来なくなり、そのまま退職に・・・

その2ヶ月後くらいには、教育担当の先輩も体調不良で休みがちになり退職・・・

 

さらに社会人になって半年が経つと、部署内でリーダーシップをとっていた先輩2名が退職して行きました。

 

 

 

 

私が職場に入ってから1年が経たない間に、

 

半分くらいのメンバーが入れ替わりました。

 

 

 

 

当時頼る相手がいなくなり、仕事も覚えたようで覚えていない状況で

 

 

 

まさに必死のパッチ・・・

 

 

 

 

なぜ続けられたかと言えば、部長の何気ない一言でした。

 

「君は、明日もにこにこ楽しそうに会社に来るだけでいい。それが一年目の仕事だよ。」

 

と、言ってくれました。

 

 

 

後から部長にその話をした時は

「周りが続々退職する中で、一年目の女の子が来なくなったら僕の責任問題じゃないか」

と冗談のように言われましたが笑

 

 

 

 

「会社に行くだけで偉い」

 

「環境がガラリと変わった中で適応するだけで十分すごい」

 

 

 

 

と言われたようでした。

 

あー、そっか・・・

 

 

 

「仕事は失敗してもいい、できなくてもいい」

 

「その代わり、楽しんで成長する」

 

  

 

 

 

今だからわかるのですが

 

当時の部長の言葉がなぜ、私にとってこんなにも響いたのかというと

 

周りの何年も仕事をしている人と私を比べるのではなく

 

 

 

「私自身の成長とがんばり」を見て声をかけてくれたから

 

 

 

 

 

だとわかります。

 

 

だから踏ん張れたし、頑張れました。

 

なので、私自身も

 

 

 

周りの誰かと比べるのではなく、昨日以前の自分と比較して

 

成長を実感できたらそれで上出来!

 

 

 

というルールにしたんです。

 

当時は理由を明確にできていませんでしたが。笑

 

 

辛い時もありましたが、成長してると実感することでまた頑張る力をもらいました。

 

当時の部長の言葉が今の私のルーツかもしれません。

 

♡結婚、転勤・・・

 

社会人になって、仕事もそれなりにできるようになった時に

 

当時お付き合いしていた今の夫と結婚することになりました。

 

 

夫は総合職で全国転勤のある仕事をしていました。

 

私も正社員総合職で全国転勤有りの仕事で、転勤になると離れ離れになる可能性も・・・。

 

夫とは仙台で出会いましたが、次の年には転勤が決まって。

 

 

 

私もついていくとなると、

 

会社のルールでは契約社員に切り替えて

 

希望の地域の部門に入れてもらうしかありませんでした。

 

 

 

仕事は楽しかったし、好きだったから辞める選択肢はなく

 

契約社員になって、夫の転勤について関東にやってきました。

 

これまで頑張ってきたから、頑張れると思っていました。

 

 

 

 

 

でも実際には、

 

 

 

 

契約社員は、キャリアアップはできない

 

 

 

昇給もありません

 

 

 

 

1年ごとの契約更新になり、

 

 

 

 

ボーナスもありません。

 

 

 

所得で言えば、かなりダウンです。

 

 

 

でも元正社員で総合職だったので、求められる仕事のレベルはそこそこ高いし

 

契約になったからといって仕事の内容が大幅に変わるわけではなかったんです。

 

 

 

 

 

正直、モチベーションが行方不明になりました笑

 

なんのために仕事をしていくのか、どうして仕事が好きだったのか・・・。

 

 

 

 

いや、頑張れるはず!と思って気持ちを奮い立たせる日々でした。

 

 

 

でも、この時、自分の心と向き合っていませんでした。

 

 

 

 

 

どうしても辛くなってきたころ

 

 

 

「本当はどう思ってるの?」とノートにぶちまけてみました。

 

 

 

 

 

散々ノートにぐちぐちと感情を吐きだきてみると

 

 

 

 

「仕事をするなら、キャリアアップも昇給もしたい。日々の仕事の中で充実感や、達成感を味わいたい。

今まで貢献しようとしてやってきた努力や頑張りを、会社に裏切られたように感じる。とても悲しい。

だって、仕事も会社も好きなんだもん。」

 

 

 

 

という本音が出てきました。

 

その気持ちを見なかったことにして、

 

 

 

ただひたすらガッツでわたしは頑張れる、仕事が好きだ、この会社も好きだ!

 

 

 

 

鼓舞していたから辛くなったと気がつきました。

 

 

 

 

 

「私は自分で選ぶことを、いつの間にかやめていた。

 

今の気持ちを大切にしてあげないでどうするの。

 

会社に依存して、勝手に裏切られたように感じていても何も変わらないじゃん・・・

 

 

 

 

と素直に思いました。

 

 

「会社は守ってくれないし、人生の責任を持ってもくれない。」

 

 

 

 

「自分で稼ぐスキルを身につけて、会社に依存する今の生き方を変えたい。」

 

 

 

 

そこで、まずはブレやすいマインドを整えなくては。と、

 

心理学が好きだったことを思い出した私は「カウンセラー養成講座」に通うことにしました。

 

50万円くらいの、半年のコースで初めての自己投資。

 

 

 

 

みっちりと自分と向き合いました。

 

そうすると、大学で学問として学んでいた心理学が、日常の場面に紐付きはじめたんです!

 

 

 

 

自分を責めていた気持ちが、ゆるゆるとほぐれていくにつれて

 

周りにも優しく、自分にも優しくなれる自分に気がつきました。

 

それを、インスタグラムでアウトプットしていると、

 

たくさんの方が共感してくれたり、

 

 

喜んでくださいました。

 

 

 

 

半年でフォロワーさんが1000人を突破し、

 

メッセージのやりとりをしてくださる方とも仲良くなりました。

 

 

 

「たかちゃんのアウトプットは有料級だね!」

 

といっていただけるようになり、サービス化。

 

 

私が心を整えてきた方法をまとめて

 

個別継続講座としてリリース!

 

 

 

今もたくさんの方のお話を聞き、私が学び身につけたことを使って

 

サポートさせていただいています。

 

 

♡現在

 

会社員をしながら、自分の好きなことで稼ぐ「複業」スタイルのライフスタイルです。

 

長年をかけて少しずつ学んで、自分の身につけてきた心理学と

 

転機には私にチャンスと気づきを与えてくれた

 

手帳とノートの研究を今でも続けています。

 

 

 

不登校で人生どん底、終わった・・・と思ったところから

 

 

 

学びやチャレンジをきっかけに、人生を浮上させてきた経験をメソッドにして

 

 

 

 

自分と向き合う方法や、行動力を身につけたり

 

心を整える方法をお伝えするのが得意です♪

 

 

 

 

また、たくさんのイベントを主催しているので、

 

セミナーやイベントのプログラムの作り方もお伝えしています。

 

 

 

 

☆マイナス思考になってぐるぐるする方

 

☆いつも自分はダメだと思い、行動できない方

 

☆他人と自分を比べてしまい、悲しくなったり落ち込みやすい方

 

☆行動したくても怖さが勝って身動き取れない方

 

☆自己肯定感が低く、他人の目が気になりどうしたらいいかわからない方

 

 

わくわくできる毎日を

 

自分が好き!と思いっきり表現できる自分を

 

今まで生きてきた辛く苦しい人生のシナリオを一緒に書き換えてみませんか?