俺は中学の時は冴えない男で、何となく卓球部に所属していて、夢中にもならず、一生懸命取り組んだ事もなく、部活動にやり甲斐などを一切何も感じない、諦めた感じの男だったけど、中2で始めたドラムだけは真剣に取り組んでいました。
俺のドラムで仲間が喜んでくれたから。
人が喜んでくれる事が、俺自身が嬉しいなんて、人生で初めての喜びだった。
中3の時、浅草で初めてのライブする事が決まって、仲の良かった数人の友達と、好きだった女の子を呼んだのを覚えています。
二十歳なると、その頃の俺のドラムは、今とほぼ同じになっていた。
当時の音源を聴いても、不思議と今とグルーヴの印象はあんまり変わらないです。
少し雑だけど「高橋」ってドラムは完成されつつあったんですね。
そしてたくさんの人に褒めてもらって、俺は少し調子に乗っていたかもしれないです。
生意気だったって言われても仕方がない。
でも、たとえ生意気だとしても、周りは俺をほっとかなかったんだ。
ドラマーの人口は絶対数が少ないから、俺のドラムの噂を聞きつけたバンドマンは、あの手この手で、俺の実家に電話かけて来て、俺をバンドに誘った。
呼び出され、知らない奴のアパートに集まり、みんなで朝まで夢を語り明かした。
そのバンドには入らなかったけど、ビジョンはとてもしっかりしていて、自分の意識の低さを目の当たりにしたのも覚えています。
「こんなに風にバンドの作戦を立てて、こんなに深く考えるんだ…。」って驚いた。
俺の意識のどこかに「音楽は遊び」って感覚があったから。
公園で友達と鬼ごっこしてるのと同じ感じ。
でもバンドには深く考える人が必要だし、音楽を作れる人と、魂の言葉が必要だと知った。
ドラムは単体じゃ音楽が成立しない唯一のパートだから、いくらドラムがそこそこでも、俺だけじゃアウトだったんだ。
ドラム以外の音楽を作れる才能がバンドに必要だった。
で、俺は考え、自分の意識を少しでも高め、その時のメンバーと何とかオリジナルを作って、コンテストに応募した。
前にも書いた事あるね。
結果は落選して、俺は審査員に
「俺たちのどこがダメなのかもっと細かく知りたい」と、直談判しに行った。
俺は、頭おかしいムカつくガキ扱いされ、納得がいかないままメンバーのところに戻った。
そのコンテストでは、友達のバンドが審査員特別賞をもらってて、先輩が準優勝してて、知り合う前の細美さんが優勝してた。
俺たちに何が足らないのか…?
俺の魂の叫びはマジなのに、なぜ人に心が伝わらないんだろう…
毎晩考えて、若過ぎた俺の苛立ちはピークに達して、俺は酒に逃げるようになったんだ。
週7でウィスキーを信じられない量、ストレートで飲んで、365日記憶を飛ばしてた。
少しずつ進路が分かれて、また新しいバンドを組んだ。
当時のメンバーにも、酒でたくさん迷惑をかけ、後悔したり、それでもどうしても苛立ったりの繰り返し。
それも何だかロックしてるような気がしてた、勘違い野郎でした。
そんなのロックじゃないし、ただのバカ丸出しだったけど、その時は何もかもどうでも良かったような良くないような、自暴自棄で無知でバカ。
メンバーの苛立ちもピークに達して、メンバーはみんないなくなっちゃった。
俺は、初めての涙が止まらなくて、会社の社長に車を借りて、東名高速を限界まで走ってみた。
たどり着いた街、そこは名古屋だった。
続きはまた。
んじゃまた。