人は沢山の悩みを抱えながら生きていることだろう。
その種類や大きさは他人と比較できるものでもない。
私も日々色々なことに悩み、もがき、苦しみながら生きている。
言い換えれば、目の前で起きることを取捨選択しながら生きているとも言える。
今日は夜勤。
晩飯は買ってきた弁当屋の洋風幕内弁当。
私は好きな物を最後まで残す派。
その理由は、気分良くグランドフィナーレを飾りたいからだ
ちっちゃいくぼみに入ったポテトサラダや刻んだ漬物みたいなやつは序盤に食べてしまう
いわば、補欠だからだ。
いつものように食べ進め…
終盤に差し掛かった。
残っているのは、
「エビフライ」「唐揚げ」「ウインナー」
いわば、クリーンナップだ
ご飯は半分程残してある。
こうなってくると、どれから食べようか…
いや、どれを残すべきか…
いや、どれを最後にもってくれば有終の美を飾ることができるか…
非常に悩む
それぞれを半分づついくか
いや、それにしても3択であることには変わりない
行儀が悪いが、迷い箸をしてしまう
目の前の弁当としばしの時間にらめっこをしながら、考える
どうしてもすぐに選択することができず、
とりあえず、エビフライを半分食べた🍤
では、次にどれをいくか
こんなものに正解なんてないが、できるだけ自分が選択したものに後悔はしたくない
よしッ
意を決して、唐揚げに手をつけた
変なこだわりだが、唐揚げみたいなもんは半分づつ食うのは邪道なので、いく時は一口でいかなければならない。
そして、唐揚げをほおばる
残ったのは、「エビフライ二分の一」「ウインナー」🍤🌭
選択肢が二分の一になった。
この時点で、私のプランはほぼ成立
道筋が見えた
それは、単純に選択肢の幅が狭くなったことではない。
ポイントは、「エビフライ」。
エビフライというものは、通常一本で成立しているものだ。
しかし、先程半分かじってある。
つまり、残っているのは「エビフライ」ではあるものの、しっぽ側半分。
もう、こうなってくるとエビフライとしての価値が激減しているので、世間で言うところのそれではない。
実はエビフライにかぶりつく時に悩んだことは悩んだのだ
頭側からかぶりつくのではなく、しっぽ側からかぶりつくことを…。
そうなると、頭側半分が残っていることにより、エビフライとしての価値がそれほど損なわれることなくキープできるから。
でも、普段からそんな食べ方をしている訳でもないし、今日に限って「ヘッドハーフキープ」の技を発動してしまうことは、目先の欲に惑わされることで自分に負けたような気がする。
いわば、自分に嘘をつくことになるからな。
なので、あえてそんな食べ方はせず、
「テイルハーフキープ」を選択した訳だ
話しを戻す。
「エビフライinしっぽ側」と「ウインナー」
こんなもん、上記の理由からウインナーを残すに決まっている
もし、しっぽ側を最後に食ったら、しっぽの甲殻の部分が咀嚼の拍子に縦に歯に入ってしまい、挟まって気分が悪いまま最後を迎えることになる。
迷わずエビフライに手をつけた。
そして、ご飯もバランス良く残し、グランドフィナーレは…
「ウインナーとともに去りぬ…」by-スカーレット・オハラ
その時、その時…選択と決定の連続である。
今日のことで言えば、他にも選択肢はあっただろうし、日やタイミングが変われば私も同じ選択をするとも限らない。
人によっては、おかずの下に敷いてある、ほぼ無味のスパゲッティを最後まで残す人もいるだろう。
その決断を要するまでに悩み、苦しみ、そして後悔をすることがあるかもしれません。
でもね、私はこれだけは声を大にして言いたいのです。
「あなたの選択は間違いではない!」
色んな選択肢があって良いし、悩んでも良い。
いや、むしろ悩んでほしい。
悩んだ者にしかその先の景色は見えないのだから…
50前のおっさんが、夜勤前に…
「エビフライ」「唐揚げ」「ウインナー」を目の前にして悩む姿…
なかなか趣きがあるではないか
平安時代やったら、
山部赤人あたりが百人一首で詠んでても不思議ではない絵面
早く夜勤終わらんかな…
お読み頂きありがとうございました