雨の夜にクルマを走らせる。
クリスマスも近くなってきたのが、
夜だと一層よくわかる。
イルミネーションがこれでもか、と
光輝いて、
街を歩く人の顔にも
「今年もあと少し感」
が現れている。
そんな空気感が
雨にもかかわらず、
クルマの中にもかかわらず、
感じられるくらいに
街中に充満している。
人々の目に見えない期待が、
この時期だけは
見える気がする。
「日本人の元々のルーツに
クリスマスなんて無いよ」
うん。
確かにそうだね。
100年前の日本人が見たら
とんでもなく驚くと思う。
「一体、何のお祭りなんだ?」
「いやね、この騒ぎはクリスマスと言って
イエスキリストの生誕を...」
と説明したとしても、
100%分かってもらえないと思う。
それを言うならば
日本ぽく感じる年賀状って
江戸時代には無かったんだから、
まあ、人の世はそんなもんさ。
要は、
騒ぎたいんだろうなー。
面白く騒げるのであれば
大義名分は吹っ飛ぶんだろうねー。
最近ではハロウィンが
特に東京ではえらいことになってるけど、
そりゃ、ああなるよね。
普段、クルマが行き来するような
渋谷の交差点は、
この日ばかりは歩行者が勝者だ。
クルマとぶつかって
肉体的に勝ってしまうような人って
恐らく居ないと思うし、
日常の道の上では
クルマがヒエラルキーの頂点に居るし、
勝者だと言える。
「歩行者優先」が
交通ルールのキモだけど、
「人とぶつかって、人を傷つけず
自らが壊れるクルマ」は、
残念ながら発明されていない。
しかし、この日ばかりは、
人が勝者だ。
クルマより人が強くある日だ。
普段、恐怖でおののくクルマに対して、
ひっくり返したり、
ボゴボコとパンチしたりするのは、
ある意味、当然かもしれない。
この日ばかりは
ヒエラルキーの下克上が起こってしまう。
最近頻発しているパリのデモ。
元々の原因がもはや分からないくらい、
長引いているし、
激しくなっている。
主張の果てのデモであり、暴動だろうけど、
映像を見ていると、
「何かを訴える」
というベクトルよりも、
「自分たちを解き放っている」
ように見える、僕には。
普段、暗黙の了解で守らされるルールや、
自分の責任とは無関係なところで設定された
ヒエラルキー。
そういったものに対する
逆襲に見えてしまう。
観光地として名高い
あのパリのシャンゼリゼ通りを
デモ行進するのは、
暴れまわっているのは、
快楽がともなっているように
僕には見える。
現代は普段、
それほどまでに、
空一面が重い雲のようなもので
覆われている。
時折、その雲を切り裂くような行為が
どうしても必要なのだ。
青空を見るために。
2018年12月11日(火)22:50