子どもの頃の呼称で、
四捨五入したら100才?達が、
○ちゃん、○くん になる。
違和感ないフジキ感覚。
学生時代の友人達とも、
たまに会うとこの感覚。
大学のキャンパスを歩いていた頃や
セーラー服を着ていた頃と、
変わらない顔、表情、しぐさ…
だから私は時々言ってみる
「私達、ちっとも変わらないのに。
なんで、これでセーラー服着たら、
おかしいんだろうね (^O^)」
と、笑いをとる。いや、半分本気。
たぶん、
その人の変わらない魂?と
しゃべってるから、
「変わらない感」が
あるんだろうな、などと思う。
そう。私は物心付いてからずっと、
「この私」…
「この私」が
周りの状況に反応して、
考えて、喜怒哀楽を感じる…
そして、 半世紀以上かけて蓄えた
マイ人生のデータを基に判断する。
で、データベースの中には、
都合のよいものもわるいものも、
色々ある。
コミュニケーション部門で、
私が溜め込んだデータは、
人を良い機嫌にするのが
正しく楽しいことで、
人の機嫌を損ねるのが
コワイ間違ったこと。
こんなデータを持ちながら、
周りの状況に自動反応していた…
☆ 自動反応の内容はこんなカンジ。
周りの人が機嫌よい
→ 自分、正しい言動
周りの人が機嫌損ねる
→自分、間違った言動
しっかし。
こ~んな「あなた任せ」な
自動反応装置を携えてたんじゃあ、
ミが持たない。
それで私はドン詰まり…
心屋の門を叩いたのでした。
ケッカ…
「私」が携えるべきものは、
自動反応装置というよりも
むしろ、自分発信機!
だったんじゃない?と。
なぜなら、
私、機嫌がよい
→ 現実にも良い証拠 が目につく
私、機嫌がわるい
→ 現実にもわるい証拠が目につく
だし………
なんだ!「この私」
実は 結構変わってきてたのね、
フムフム _φ( ̄ー ̄ )
