先日、東京オリンピックのエンブレムに盗作疑惑がかかったという事件がありました。此の件については、ニュースなどで大きく取り上げられている為、皆さん充分によくご存知でしょう。だから、此処で改めて経緯を陳述する様な事は致しません。
今回の記事では、盗作疑惑がかけられた、佐野研二郎さんのデザイン、其れに対する大衆の反応について、個人の中の光を知らしめる芸術という行為についてを交えて、私なりに思うところを書き出してみたいと思います。
勿論、東京オリンピックのエンブレムが、ベルギーやスペインの劇場のものを盗んだものだと、真剣に信じている人は少ないでしょう。そもそも、ベルギーの劇場とスペインの劇場の二つのエンブレムの時点で、かなり似ているのですから、本当に盗作だと非難するのならば、お互いが手を組んで東京オリンピックだけを敵にする訳がありません。ベルギーやスペインの劇場は、国を相手にして大儲けしたかっただけに違いないのです。
しかし、だからといって、日本が、盗作疑惑のかかった東京オリンピックのエンブレムを、使い続けるわけにもいきません。問題は、あのエンブレムが盗作であるかどうかではないのです。オリンピックという、世界的に公な場で、自分達のものだと掲げるエンブレムなのですから、法律又は其の他のルール的に、何か一つにでも疑惑があるのならば、其のエンブレムは、東京オリンピックのエンブレムに相応しいものではないのです。
話は変わります。今、日本の世間では、あのエンブレムのデザインを盗作だと、個人の認識内で断言し、更に、パクリだしダサいから変えろと、そういう動きが見受けられます。皆さんもひょっとしたら、同じ事を思って、同じ事を言っているのかもしれません。しかし、もう一度立ち止まっていただきたい。誰にと言えば、此の記事を読んでいる人の中で、芸術を体感して、専門家に芸術を理解しているととられる様な論評を書けたり、芸術を創作して、少なくとも其れは芸術であると云う様な評価を、専門家から受けたりを、していない、つまりは芸術に通っていない、そして其れでいて、先述のムーヴメントに賛同している人にです。
パクリというのは確かに、世界的一般的な認識として、悪い事です。しかし、芸術は、其れにすっぽり填まった状態で存在し続ける事が、妥当であると言えるのでしょうか。
例えば、1960年代、ヒッピーという芸術的ムーヴメントが興りました。其の信条は、愛を愛し、平和を愛し、セックスを愛し、自由を愛し、伝統的価値体系を否定する、と云うものです。もっと広まっている言い方をすれば、LOVE&PEACEの動向でありました。此のワードで皆さん思い出しますでしょう人物が、やはり、Beatlesのジョン・レノンです。ジョン・レノンも当然ながら、ヒッピー思想のパイオニアでした。其のヒッピーと云う人々は、LSDやマジックマッシュルームなどの幻覚剤や大麻を用いて、一度悟りを開くところから生まれます。ヒッピー思想は、世界中に影響を与える様な、多様な芸術を生み出しました、音楽で言うと、サイケデリックトランス、文学でも、ヒッピー文学などの優れたものを。更に、多くの人々からの尊敬を買う、今は亡きApple社、スティーヴ・ジョブズも、ネオ・ヒッピーでした。しかし、此れは至極当たり前の事ですが、薬物を服用するのは、世界的一般的にはいけない事です。ヒッピーは素晴らしい芸術性を持った思想でしたが、同時に、建前的には良くない思想でもあったのです。
此のヒッピーという思想を通して、私が言いたかった事は何か、其れは、芸術的善の方向は、人間が理性でがんじがらめにした条項の制約を、飛び越える事もある、と云う事です。
今話題になっている、佐野研二郎さんのデザインもどうでしょうか。あれが盗作であると思い込んでいる人がいます。勿論あれは盗作の可能性もありますし、盗作だと思い込む事も善い事ではあります。仮にあれを盗作と云う認識で見てみましょう。あのデザインは、ベルギーやスペインの劇場に用いられているデザインを盗んだものです。しかし、あの様な高々と掲げられるデザインと云うのは、須らく芸術です。大阪万国博覧会にて建った、あの太陽の塔もまた、岡本太郎さんの建て上げた芸術作品でした。其れを、芸術的な感性が充分に養われているとは言えない大衆層が、法律や国際的な法を根拠に、挙って批判すると云うのは、一体全体どういう事でしょうか。芸術を否定出来るのは、決して理屈ではありません。芸術の世界においては、パクリを悪だと決定付ける事は出来ません。音楽業界では其の議論が顕著に盛んなので、音楽好きの方は其の事を心得ているかもしれません。佐野研二郎さんのデザインに文句をつけるアプローチならば、もっと他にあると私は思うので、先ずはご自身の芸術の素養を高めてみては如何でしょうか。そして、「こんなデザインの方が良いだろう」などと云うコメントを添付して、自分が考えた、又は選考落ちしたデザインをインターネット上に流す行動は、政府が選考する際に、参考にしたり、意見を伺った芸術家様方よりも、芸術への理解が深い方のみに、許される事と思います。
纏めさせていただくと、佐野研二郎さんのデザインは、確かに、オリンピックで使用する事は出来ない様なものですが、デザイン自体を大衆層が批判し、悪と決定付ける事は正しくありません。
どうか、世の中は多数決が通用する民主主義だけで構成されていて、其れがどんな場面であっても絶対的正義である、と云う近代思想に囚われた認識を、状況に応じて、傍らに置いてみたりしてみてはどうでしょうか。
