過去の自分がいます。
そして、未来の、あるいは将来の自分がいます。
将来の自分かあ~。
そうですね、自分自身がもっている自分像かな。
今の自分と将来の自分像は、通常異なる事が多いですよね。
人は夢がある。その夢にむかって、自分を成長させようとする。
それはそれで素晴らしいこと。
でも、その時、自分に無理をしないといけない時が出でくる。
できないことにチャレンジしたり、
多くの人たちと出会ったり、
仕事をバリバリしたり、
頑張るから、次のステージにいけると思う。
ただ、物事は上手くいくとは限らないから、あるいは、思ったほどのことではなかった、ということだってある。
すると、どうなるのか。
現在の自分と将来の自分像とのギャップが、自分でも分からなくなってしまう。
できれば、ギャップは認識し、理解しておくことが大切。
自分を見失う危険性があるから。
自分の中の自分像が、表に出現してきて、「ありのまま」の自分と葛藤し始める。
そのうち、自分の気がつかない「偽り」の自分と「ありのまま」の自分が二人存在することになる。
そして、いつしか「ありのまま」の自分が消えることになる。
「偽り」の自分が、支配していくのだ。
癌のように、本人が気がつかないまま、病状は進行していく。
「偽り」の自分と言っても、決して悪いわけではない。
ただ、「ありのまま」の自分ではないから、疲弊が半端ではない。
疲れてしまう。
いや、疲れさえ麻痺させてしまう。
人は誰でも、「偽り」の自分と「ありのまま」の自分を持っていて、日常は使い分けているのかもしれない。それは、無意識のレベルで。
一生懸命になる程、競争すればするほど、無理を重ねれば重ねるほど、
「偽り」の自分が、支配を拡大していく。
この「偽り」の自分を手放したとき、「ありのまま」の自分が
落ち葉のなかから、発見される。
腐りそうな「ありのまま」の自分の姿がそこにある。
もう一度、その落ち葉のなかから、「ありのまま」の自分を拾い上げ、大切にしたい。
「ありのまま」の自分を多くの人が忘れかけている。
そんな気がするし、私にも当てはまる。
たまに、「ありのまま」の自分です、っていう人に出会うと、
オーラーを感じるし、魅力的で、素敵な人だなと憧れる。
ただ、「偽り」の自分を手放すことは、勇気がいるし、おっかない。
弱いから、○○組の若造のように、懸命につっぱって、怖い顔して、入れ墨を入れ、時には武器をもたないと安心できなくなっている。
そんな人に、「裸になれ」というくらい勇気がいる。
私も「ありのまま」の自分でいる時間を多くしたい。
いや、「偽り」の自分を手放したい。
いや、「ありのまま」の自分を思い出したい。
少年時代の「あの気持ち」に。
今日は、それを意識して生きてみよう。