岐阜市 手力雄神社 火祭り
2012年 4月14日
概 要 火の粉の滝へ裸男たちが威勢良く神輿を担ぎ練り歩く、炎と音の競演。
日 程 毎年4月第2土曜日 (雨天順延)
場 所 手力雄神社 (岐阜市蔵前6丁目8-22)
交 通 名鉄各務原線手力駅から徒歩5分 / JR高山本線長森駅から徒歩15分
駐車場 なし (神社周辺は狭く、観客でいっぱいです。電車で行く事をお勧めします。)
岐阜県の重要無形民族文化財
火祭りは、手力雄神社境内で行われる神事芸能で、
火薬を使った勇壮な祭りで300年以上の歴史があります。
祭りの日は、各町内を爆竹と鐘を鳴り響かせながら
男衆が神輿を担いでねり歩き、やがて各町内の飾り神輿(花火神輿)が
猛烈な爆竹音とともに見物客の間をぬって宮入りする。
境内正面には歌舞伎や昔話を題材とした
大掛かりな山(舞台)がセットされている。
高さ20mの御神灯(巨大な行灯)に次々と点灯された後、滝花火に点火!
火の粉が降り注ぐ中、裸男が担ぐ神輿が乱舞。
滝花火で神輿の花火に引火させると、祭りは最高潮に達します。
手筒花火や、仕掛け花火が一斉に火を噴く山焼き、
火薬のにおいが立ち込める境内では見物客は圧倒されます。
全部の御神燈(行灯)がうまく点火すればその年は豊作。
火の下をくぐると 1年間無病息災だと伝えられています。
日本の神話にでてくる岩戸に隠れていた天照大神を自らの手で
引きずり出したとされる力の神、手力雄神を祀った神社
1567年に織田信長が手力雄神社に残した禁制と呼ばれる文書が存在するらしく
神社周辺の土地を手厚く保護するかわりに信長が定めた
禁止事項を守るようにと記してあるそうです。
信長は美濃を攻略において市中に火を放っていたそうで
その際、手力雄神社の鳥居をくぐった瞬間、
信長は金縛りにあい、呼吸もままならない状況に陥ったとか
手力雄神社のたたりと考え、手力雄神社を厚く保護したそうです。
その後、信長は何度も訪れ、自分の持ち物を寄進している
「信長公宝弓」1574年寄進
歴史的には信長は神仏を恐れない人であったということになってますが
実際はどうだったのでしょうか