送り | たかがい恵美子オフィシャルブログ「やりがい、いきがい、たかがい。」Powered by Ameba

送り

その朝、病棟の廊下には搬出用ストレッチャーが用意されていました。

前後に、白い手袋・黒っぽいスーツ姿の男性が2人立っています。

…ご遺体をお迎えにきた方々でした。

命の始まりと同様に、命の終わりもまた、時間指定はできません。

どんなに惜しんでも、去るときを止めることができない。

そして覚悟をしていたつもりでも、大切な人の死を受け止めるのはむずかしいものです。

さて、命の臨床に立つ者も、実は「死」について深く悩み・苦しむ経験を繰り返しています。

‘別れ’に‘慣れ’はないように思います。

医療従事者にとって、それは命の脆さを知らされる機会でもあり、失った命の尊さの前に、自分がいかに無力であるのかを突き付けられる瞬間でもあります。

もっとできることがあったのではないかと自らを責める気持ちもわいてきます。

果たしてご本人は、安心して旅立ったであろうか?と想うこともしばしばです。

臨床ではよく、逝くときには独特の雰囲気があると言われます。

しんとして、音が無くなるような感覚をもつことがあるのです。

というのも、医療の場には死に対する厳かな気持ちが、いつも息づいているからだと思います。

その厳かな看取りのケアがいま、なかなかしにくくなっているという声を、耳にするようになりました。

最期のときに十分手をかけることができない、ご家族の気持ちを汲み取るために、落ち着いてお話を聞く余裕がない、という声です。

治療や様々な処置に追われて、ベッドサイドで足をとめ、静かに送ることも看護の大切な仕事。

そのサービスが提供しにくい医療現場で、最期のときを過ごす方々は、やはり安心して旅立っていないのではなかろうか?

…悶々とした思いを抱えながら、搬出されていくご遺体を見送りました。