福岡旅行・太宰府編その3ヽ(^o^)ノ | 貴房本殿

福岡旅行・太宰府編その3ヽ(^o^)ノ

むやみに長い太宰府探訪記、パート3です!

いよいよ向かうべき道、
つまり羅城門推定地と朱雀大路跡の発掘場所を知ることができた
貴房と三ニ九さんの一行。

さぁ、8月末の猛暑日の中、
気合を入れ直して歩き出しまっしょー!!(・o・)/


まず最初の目標地点は、
いにしえの太宰府条坊都市の入り口、羅城門があったと思われる
筑紫野市役所です。

さすがに市役所なので分かりやすい場所にありました。
しばらく歩いてすんなり到着。

記念に写真を一枚。
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はい。
ものすごく普通の街並みです(^_^;

ついでに役所の庁舎も一枚。
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通りすがりの地元の人達も
「あの人なんでこんな所で写真撮ってるんだろう?」
と思ったかも(笑)
でも良いんです。
貴房には往時の羅城門の偉容がありありと想像できています。
今現在の、何の変哲もない、市役所前の風景に、重ね合わせることができます。

そう、例の第一回の記事に出した、これ↓ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%85%E5%9F%8E%E9%96%80

もちろん平安京の羅城門とは規模やデザインに違いはあるでしょうけど、
大体のイメージとしてそんなような門が、
この辺りに建っていたわけです。

場所的にもこの筑紫野市役所あたりというのは
あくまで鏡山氏の案に従ったものなので、
誤差はあると思います。
最大限、2~300メートルは前後するかもしれません。
それでも十分、近くまで来れてるわけですし、
少なくとも朱雀大路のラインは
政庁遺跡から真南に下ろした一直線のラインとしてほぼ確定してるので、
今まさに
“羅城門が見える、朱雀大路もしくはその延長線の上に立っている”
という事は間違いありません。


うはー!
歴史ヲタ的にこれはすごい感激な状態です!(笑)


往時の朱雀大路は、
道路幅が36メートルもある立派な大通りだったそうです。
北の端にある政庁までブチヌキ一直線の大通りを、
貴人や役人、職人や商人、土地柄的におそらく外国人も、
雑多な人々が行き交って、
ワイワイガヤガヤ賑わって、
もしかして露店なんかも並んでたんでしょうか、
そんな繁栄を極めた頃の太宰府の情景が脳内に再生される・・・。
(そういえば以前に牛車のわだちの痕跡が発掘されたらしい)


そうそう、
先日からこの日記を書いてて思ったんですが、
この貴房、せっかく3DCGという表現手段を持っているので・・・
ここはいっちょ、失われた太宰府条坊都市をCGで作ってみると面白いのかも!?
と言っても以前に古代出雲大社を3DCGで作ったときすでに
部品が多すぎてメモリーがあっぷあっぷ状態だったので、
都市を一つ作るとなると絶望的な気がしますけど・・・(^-^;

でも、見えない部分を極力省略したり、
合成など上手く使い分ければ何とかなるかもしれません。

いつになるか分かりませんけど、
これは是非やってみようと思います~♪


さて、では筑紫野市役所から先へ進んでみましょう。

現在の道路は、とくに車の交通量が多い大きな道路は
太宰府の条坊ラインとは無関係にカーブしたり
斜めに通ったりしているので、
そういう所は細い路地に入ってでも、
できるだけ朱雀大路の直線に沿ったコースで歩いていきます。

旅行に来る前、三ニ九さんが
「全部車で連れてっちゃる!」と言ってくれてたのをお断りして
あえて徒歩にこだわった理由がここにあります。
こういう場合は歩きの方が自由に行きたいところに行けるし、
何より距離や広さを体で知ることができますからね(^^


さりげなく住所表示にも注目してみる。
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この辺りは「塔原(とうのはる)」というんですね。
ちなみにこの「塔」というのは、
この場所に昔から仏教寺院の塔の礎石が残っていたために付いた地名のようです。
そして平城京・平安京も、
羅城門を入ってすぐ近くの場所に寺院があったようで、
うむ、この地名からしても、
この辺りに太宰府の羅城門があった可能性は高いのかもしれません。



さらに(暑い・・・)しばらく行くと、
細い路地が切れて、車通りの多い国道112号線に出ました。
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次の路地に入るまでちょっとの間国道沿いを進むと・・・
おぉ、これがもしかして、博物館で教えてもらった“パスタ屋”では?
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しかし案内板ってのは何処に・・・と見回していると、
三ニ九さんが「あ、あれじゃないの?」と指をさす、その先に。

あったー!!
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有りましたよ!
駐車場の一番奥で、すぐには目に付かなかったのを
三ニ九さんが見つけてくれました。

しかしコレ・・・
博物館で教えてもらわなかったら絶対見つけられなかっただろうな~。
貴房本殿

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本当だぁ、
たしかにここで発掘がおこなわれて、
朱雀大路の跡が発見されてるんですね~!
この地点は大路の「側溝」が見つかった場所なので、
実際にはもうちょっと奥が昔の道路部分ってことになります。
当時ならこの地点は側溝の、つまり水路の水面の上ってことになりますか。

現在の道路が北西方向に向かって敷かれているので
イメージしにくいですが、
今は建物で塞がれているこの方向に向かって
朱雀大路が伸びていたんですね。

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↑この、建物の向こうにチラッと頭だけ見えてる山が
「四王子山」という山で、
大宰府政庁の裏山にあたる位置にあるので、
真北の方向を見る際の目印になります。


ちなみに三ニ九さん、かなりノリノリで、
「もっと奥の路地に入って昔の道路のあたりまで行けるんじゃないの?」
と一人で入っていき、
「やっぱりダメだぁ、人んちの敷地だぁ」
と言いながら戻ってくるなど、
なかなか楽しんでくれてる様子。
ほんと面白い・・・ゴホン、じゃなくて優しい人だなぁ(^-^)


国道を少し進み(暑い・・・)、また路地に入ります。
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そして川を渡る。
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つまり、朱雀大路は川をまたいで通っていたことになりますね。
想像ですが多分、大きな橋が掛かっていたんでしょう。
京の五条大橋とか、そんなイメージの橋だったのでしょうか・・・。

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この辺りの地名は「通古賀(とおのこが)」といいます。
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一説には、太宰府条坊都市の中のこの辺りに
「筑紫国府」つまり筑紫国(今の福岡県)の役所が置かれていて、
国府の役所部分「国衙(こくが)」があった場所なので
こくが、が訛って「こが」になったとも言われてるようです。

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さらに先へ進むと(暑い・・・ペットボトル補給)、
こんもりとした緑と鳥居が目に入ります。

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「榎社(えのきしゃ)」です。

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平安時代、菅原道真さんが太宰府に左遷されたという話は有名ですが、
その時に道真さんが住んでいた屋敷がこの場所だったらしい。
その後神社になり、
祭神は、道真さんを日夜世話した浄妙尼という尼さんなのだそうです。
三ニ九さんがしきりと
「昼も、夜も、世話をした、ってつまり、
 道真さんのオンナって事でしょ?」
と“夜”の部分にこだわってて吹きましたwww

ふぅ・・・暑い・・・(;´Д`)

でも、不思議と神社の境内というのは、
ほんの少し、外の世界より涼しい気がするんですよね。
樹々に囲まれてる所為もあるでしょうし、
そもそも古い神社ってそういう、風通しや水はけの良い、
好立地に建ってることが多い気がします。
浄妙尼さんと道真さんを拝んでから
木陰のベンチで一休み・・・ ;^.^)=3


ペットボトルの飲み物がだいぶぬるくなっています。
飲み干してしまったのでまたどこかの自販機で補給しなきゃ。


切りがいいので、今日はここまでにしましょうかね。
次回へ続く~(^o^)ノ