家族愛の痛みを絆に変える 

タラニです。

 

人生のパターンに囚われる物語

 

ある日「私は、物語の中で同じパターンを繰り返している」と気づけたのです。

 

セルフイメージ通りに生きる私達


ここで言う物語とは、夢のようなフィクションではありません。
 

人生の中で繰り返されてきた、決まったパターン
 

それは、何度も何度も、登場人物や環境を変えて現れては、私を翻弄してくる“ドラマ”のことです。

 

たとえば、感情が麻痺して動かない日。


何も起きていない静かな時間が不安でたまらない日。
 

その背後には、「何かが起きていないと、私は存在できない」という無意識のルールが、ずっと働いて

 

焦って行動を起こしていたのです。

 

そのことをエゴが暴走するという人もいます。

 

◆ 人生脚本という見えない台本

心理学ではこれを「人生脚本(ライフスクリプト)」と呼びます。
 

子どもの頃に身につけた生き方のパターンであり、それは親や周囲の影響の中で、「こう生きれば生き残れる」「これをしてはいけない」といった禁止令によって形成されていきます。

 

私の人生脚本には、こんな禁止令がありました。

  • 感情を感じてはいけない

  • 平穏な時間は価値がない

  • 無意味に存在してはいけない

だから私は、いつも心のどこかでお決まりの“起承転結”を繰り返していました。
 

事件が起きる。誰かが離れる。何かが壊れる。


そうした変化の中でしか、私は「私の人生が動いている」感覚を得ていたのです。

 

◆ 物語に存在の鍵を渡してしまう

物語(人生のパターン)に引き込まれているとき、私は自分を美化して生きている実感を持てます。
 

逆に、静かな日常や満たされた時間には、どこか浮いてしまう。

 

つまり、今ここにはいません。
 

「何かがおかしい」「何かが足りない」――そんな焦燥感が胸を占めるのです。

 

本当は、ただ穏やかに過ごしているだけで、私の存在は十分価値があるはずなのに。
 

私はずっと、「物語」の中に“本当の自分の存在への鍵”を渡してしまっていたのです。

 

ここでいう存在の鍵とは、
真我である魂への入り口の鍵のことです。

 

――本当の真我に繋がる大切な入口のこと。

 

けれど私は、扉の向こうにいる本当の真我を信じることができず、
 

外側のパターン(物語)の中に生きることを真実だと錯覚していました。

 

◆ 脚本を書き換えるとき

人生の脚本は、無意識のものです。
 

でも、それに気づいた今、少しずつ書き換えていくことはできます。

  • 感情が湧かなくても、今ここに生きている自分にそっと寄り添う

  • 何も起きない日こそ、存在の根っこを耕すチャンスと知る

  • パターンに飲み込まれそうになったら、静かに内なる扉に意識を戻す

そうやって少しずつ、私たちは物語から自由になり、
 

他人や外側の出来事ではなく、魂の声を軸にした人生を選べるようになります。

 

◆ さいごに

物語がなければ不安になっていた私は、もう扉の鍵を見つけています。


「静けさの中にある魂の声」に耳を澄ませる練習を始めています。

 

これこそが、ずっと探していた“わたしの真実の物語”のはじまり。

 

あなたの中にも、


何かが始まろうとしている静けさが、そっと息づいているのではないでしょうか。

 

魂を感じ続けて、シフトし続ける感覚を持てますように。

 

 

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