養育者と配偶者の相違点
『DV虐待加害者の実態を知る』を参考に
私の両親は自己肯定感が低い「依存症」
私の前夫は自己肯定感が過剰「DV加害者」
依存症の背景には「罪悪感と愛」がある
DV加害者の裏には「権力と支配」がある
依存症の対象は イネイブラー(過保護過干渉)
加害者の対象は スケープゴート(生け贄)
依存症は自己破壊的
加害者は他者破壊的
依存症の陶酔は短期的
加害者の陶酔は長期的
私が成長して成人し離れていくことにしたとき
依存症の両親は 私に干渉しないように涙を呑んで手放してくれた。
加害者が自分の犯している虐待から得るものがずっと多いし、
時と共に減るものはない。
前夫から離れようとしたとき
加害者の前夫がしたことは3つ、そして、3つ条件とも私は呑み込んだ。
①私の悪口を周りの人間に吹聴し 私の評判を悪くした。
②浮気をして、私を怒らせたり嫉妬させようとした。
③子どもをさらって、私から親権を取り上げた。
それに対して 私は
①自分の身体を壊して耐えた
目が見えなくなり、味覚がなくなり、寝たきりになった。
②浮気相手に心の中で感謝した。あなたのお陰で別れることが出来ました。
③子どもの意思に委ねて、前夫には両手を挙げてサレンダーし抵抗しませんでした。
どんな防衛をして 身を守ったのだろうか
今、思えばあの時自分の身を守ることで生き延び出来たな。
①怒らない、ノーを言わない、反抗しない
②自分を「価値の無い人間、悪い母親、ダメな女」にした。
③愛と愛情を殺した。怒り、悲しみの感情を押し殺した。
本当は絶えられないほど寂しかった
本当は気絶するほど怒っていた
内心は絶対に「許すものか」と思っている
潜在意識には主語か無い3歳児の意識レベルだという。
ということは、わたしが、「アイツのことが絶対に許せない!」と思っているとしたら、アイツは自分と同じことである。私が自分のことを許せないのは、人を絶対に許すものかと思っているからだ。アイツの罪(行為)は許せない。でも、人格は否定しない。
そうか、前夫の自己中心的な特権意識と私への侮辱は許さなくていいけれど、
人を許す気持ちはそうするようにしよう。
すると、私も過去の別れや失敗を許せるようになる。
それに、前夫は私が何も主張しないから、自分の都合のいいように、とっくに私から許されていると思って暮らしているのだろう。許さなければ、損をするのはまた、私だけになる。前夫は全て自分は正しく、全て私が悪いという主張をする人。
ストックホルム症候群
(トラウマッティク・ボンディング)
自分を束縛する人に愛着を感じる
束縛から自由になるしかない
もう離婚して子ども達も成人したのだから
さわやかにのびのびと 飛び立って
自由に空を飛ぶ鳥のように
私は努力してでも、温かい愛情で結ばれて 死にたいなぁ
そして、亡くなったお母さんと妹に笑顔で 夢が叶ったことを報告する
もちろん、努力して叶ったことを想定する
すると、絆を築く時間がかかるから
私はまだまだ長生きしなければ
母から「そんな愛情、最初だけだ。直ぐ冷める。」って笑われちゃうから
加害者は子どもに与える影響緊張 混乱心配 家族の崩壊自分の責任 悔やむ 罪悪感耐える 分断 ふりまわされる恨む 理想化 こけおろし間を引き裂かれる 不信感
加害者は周りを味方に付けるたとえば私の母は私を「出来ない女だからだ」と見下し前夫と後妻を「えらいねー」と褒めた。それがどれだけ私を恥をかかせ苦しめたことか・・・それから、私は実家に気を許せなくなったまた、私の福岡の叔母も
「前夫は子どもの面倒見が良くて、子どもの扱いが上手い」と褒めていつもは前夫は子どもの面倒を見たことがない人前で大げさに子どもと遊んでは見せるけどその時も私は叔母が前夫の味方をすることを知り深いところで傷ついたよな~~