こんにちはタラニです。
あなたは身近な人と心地良い距離感を持っていますか?
相手との境界線があいまいにな共依存になっていませんか?
夫婦のモラル・ハラスメント(モラハラ)関係とは、
一方の配偶者が言葉や態度、無視、過度な支配や否定的な評価などによって相手の尊厳や自己肯定感を長期的に傷つける関係性を指す。暴力のように外形的に見えにくいため周囲から発見されにくいが、心理的・社会的なダメージは深刻であり、被害者の心身の健康悪化、子どもへの悪影響、家庭崩壊、孤立化などを引き起こす。夫婦間のモラハラは個人の問題にとどまらず、世代間連鎖や地域社会の人間関係の質にも影響を及ぼすため、現代社会が抱える深刻な家庭問題・社会問題の一つである。
前夫と私のケース
今日はパートナーと沼った共依存になった過去の私が
境界線を引き、距離を持つ大切さを覚えた話をします。
私は20代前半の結婚の時の私は自分の夢を手放し、
彼の夢を自分の夢にしたことをよく自覚しています。
彼の夢ややっていることに合わせて、家の事も全力で働き
子育てから家事全般を全てワンオペで頑張っていました。
だからといって、彼が認めてくれることはないどころか
当然のようにアゴで使われる様になりました。
外では、彼は自由に振る舞っているのに
なぜか、私だけが一方的に人前でも、非難、批判、悪口を言われ
身に覚えのないことで責められ彼の尻拭い?
なんか変?だなって
彼のやることが、私の限界を超えていて、
いつの間にか五里霧中の混乱状態になっていた私でした。
でも、とにかく、彼の全てを理解しようと努力し
彼のために頑張らなければいけない気がして必死でした。
でも、彼の無理解、強引、暴言、傲慢な態度
私の感情への無関心 何も認めてもらえない、
感情無視、存在自体否定するような冷たい言葉
その度に、落ち込み、そこから這い上がるために、
ちゃんとしなくちゃと自分を厳しく責める繰り返し。
それでも、私の痛みや頑張りは価値がなく
アスファルトに落ちる雨粒の様に消えてしまい
自分の存在すら感じられない私になっていました。
愛情不足の私の心は穴の空いたバケツのように溜まらない。
ある日、このままじゃ私の心が壊れてしまうと気が付いて、
この関係から静かに退くことを考え出すようになっていました。
離婚という文字が頭に浮かんでもまだ、どこか期待が残る
まず無力な自分を変えたい、でもどうしていいか分らない。
この状態で私は力を絞って自分の声を紙に書く様に
なんと、それをコピーして近所のポストに配った。
そのころ、彼は不倫を繰り返していたと思う。
なのにバカにされるのが怖くて親にも相談できなかった。
私は彼のサンドバックになっているのに。
悔しくて悔しくて、もう彼の元を飛び出して
真実の生きる道をやっと模索しだした。
もう期待は捨てられた。
何もかも忘れてやり直したい生き直したい
当時は、子育てにも自信をなくし、
どうしていいか分らない自己喪失の状態にもなった。
でも、その時の私は弱い女性ではなく
私は立ち上がる強さを持った女性だった。
そして、彼との関係の真実と向き合う勇気を持った。
まず、彼に振り回されて身についた迷いや、
自分への疑いや否定を止めなければならなかった。
本当の自分の声を掘り起こし、
もう自分を偽って彼のために自分を犠牲にしないと決めた。
私が私自身を徐々に取り戻したとき、
ようやく社会支援の助けを受け取ることができた。
エネルギーを自分に吹き込むことができるようになった。
もう、絶対に彼の所には戻ることはない。
私自身の人生をこそ
真剣に向き合うことで
自分を愛する感覚を知った。
不思議なことに、一瞬コンフォートゾーンを感じた。
彼が初めて会ったときのように優しく現れた。
なぜ今頃?疑問に思った。
でも、それは無条件の愛ではない、彼自身の保身の為の悪あがきだと見抜ける。
もう騙されない。自己の虚像を保つために私の純粋性を利用する彼の手なのだ。
私は夢から目覚め、意識的になっていた。
彼からの冷たい態度、人格否定、責任の擦り付け、嘘、
それら全てを反射して生きて自分を守らなければならない。
私のシャドウは
「彼だけしかいなかった。」
「彼なら私を愛してくれると思った」
「彼だけが私を理解してくれる」
そう思ってうずいていました。
まずは、その過去の自分を肥大化するのを止めた。
自立したい自分に栄養を与えて、女王の様に尊重して。
自分を愛する為に私のパワーを使おう。
他人に自分のパワーをゆだねるのは止めよう。
過去の私は彼との関係の中で自分の本音を押し殺してきた。
「彼から、嫌われたくない。ガッカリされたくない」
不安が自分の傷をえぐってきた。
不安の正体は寂しさだった。
自分の「寂しさ」と自分で向き合わなければならなかった。
たとえ、彼が甘い優しい言葉を囁いても、もう私は元の状態には戻らない
「ノー」をハッキリ言える。
愛されるために自己犠牲的に無理をしなくても、
何をしなくても元々私は愛される価値のある存在だ。
私は寂しさを恐れるのではなく、その寂しさと友達になる。
一方で、彼が自分の問題やシャドウを私に映すことを断じて許さない
彼自身の問題は彼が向き合うべき有り難い成長のチャンスなのだ。
私は彼の成長するための学びを奪わない。
有るべき選択が与えられる正義なんだ。
そして、また私も傷つくことも選ばない権利があるのだ。
もう、私は誰かに必要とされなくても自分の価値を感じられる。
また、私が誰かの役に立たなくても生きていいと感じられる。
お互いの人生を切り分ける。
相手に合わせるいい人を止める。
ありのままの私でも愛される自分を信じる勇気を持つ。
どんな惨めな自分も自分で受容すると覚悟を決める。
彼の影を自分の中から外に出す。
彼の問題と私の問題と責任を切り分け境界線を引く。
私の人生は自分で認めてちゃんと私が堂々と生きる。