このタイトルがあってるかわからないですが、

昔こんなことがありました。

 

一緒に働いてた同僚に

 

”〇〇ちゃん(私)と僕は友達だよね?”

 

と言われて、私は

 

”違うよ。”


と答えました。

私は言葉の恐ろしさや強さを信じる反面、

言葉が持つ意味というのを信用してないというか

ある程度疑っています。

もちろんひどいと言われ、

ごちゃごちゃ言われて、最後めんどくさくなった私は

 

”じゃあ友達!”

 

いったのですが、

 

まず友達って何?

 

関係性を言語化するのはそんなに重要?

 

確かにその同僚とは何度かプライベートで遊んだこともありますが、

個人的に連絡を取るかというと、そうでもない。

ただ、彼に何かあったら私にできることならしたいとは思っていました。

けれど、彼に道端であって、

誰かに紹介するとき一緒に働いてる××さんとしか紹介しない。

定義はないけど自分の中で友達という意識が強い人は、

同僚だとしても友達というと思う。

言葉で友達と言いながら多分友達らしい行動をとるのは

私のほうだと言ったら、本人も納得していました。

 

結果私に友達という言葉を言わせるのはハードルが高いという結果に彼の中で落ち着いたようです。

 

彼は1,2度あったりすると友達と言うそうです。

 

そう、人によって考えが違うから、

それはそれでいいのでは。

 

なんかこれって友達以外にも言えることだと思うんですよね。

 

人は人。

 

相手の意見をただ否定するのではなく、

相手の考えは尊重する。

 

仕事で意見をまとめなくてはいけない場面では

お互い寄り添って考えをまとめる必要があっても、

生きていく中で、相手がこういう風に考えていると尊重ながら

自分の考えを腹の底に置いておくのは

大事だと思っている。

 

人の意見を聞いて、そうだなと思いその考えに置き換えるのも、

その考えを周りにぷかぷか浮かせておくのも自由だ。

ただ、考えがこれしかないと思わず、

相手の考えを尊重して、たくさんの人の話を聞きたい。

 

私はそんな人間でありたい。