さきだです。

誰が亡くなった?

そんなメールをいただき
お通夜へ。

子どもがお世話になってる
サッカー教室が開講した時
最初は5人のメンバー

その中のひとりのお母さん

その日の午前中、サッカー教室に
来られてたと。
たまたま、その日娘は学校行事で
参加出来ず

次の日、訃報のメールが!


突然死

私より10歳は若い。

しかし、死は年齢ではない。

お通夜で見た彼女は
とても美しく優しい笑顔で
眠っているよう。

もう動かないのだ

喪主席の隣に座る子どもに
かける言葉はなかった。

どんな死も寿命だと思う

けれど、身近な死は
方程式のようになかなか解けない

たまたま今日のテレビの、
テーラーワーダ仏教
アルボムッレ・スマナサーラ長老の
言葉

死は自分の周りの人に感じても
自分が死ぬとは考えられない。

なぜか。

脳は生きる事しか考えてないから。

脳は生存本能だけ。
私達のはOSには死の
プログラムはない。
だから死は考えられない。


ではどうすればいいか。
死のプログラムを
常に脳に入れていくこと。

人が亡くなる時
いずれ自分もそうなると
思う事。

先に亡くなる方は
後の人に教えてくれているのだと。


凄いタイミングの話だった。

明日は彼女と最後の時間。

子どもの事が気になると思う。

私には何も出来ないかもしれないが
出来る事があれば全力でやりたい。

ご冥福をお祈りします。

心の勉強しませんか?


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