前回の続きです。
死ねなかったのとは別に
体重が35kgまで落ちたので
このまま痩せ細ればいいんだ
と食事はほとんどしませんでした。
この頃はひたすら歩いてました。
1日20,000歩くらい。
あてもなく歩くことしか出来ず、
ぐるぐるぐるぐる色んなとこを歩きました。
それが全然疲れない。
毎日の習慣になってましたが、
なんせあてがないので、
途方に暮れることも何度もありました。
夜は寝室のベッドではなく、
リビングのソファで寝ていました。
その頃から睡眠障害が始まりました。
彼と同じ部屋で眠りたくない。
ひとりになりたい。
そんな感じだったと思います。
アタシが完全に拒食症になっているにも
かかわらず、彼は何も言いませんでした。
家族と食べに行く時はブッフェ形式。
アタシはカロリー表を見て、
野菜しか食べませんでした。
もやしのカロリーですら、
豆もやしの方が高いから食べない
といった具合に数カロリーの区別まで
気にしてました。
残った野菜はレタス、キャベツ、きゅうり
ブロッコリーくらいかな。
炭水化物もたんぱく質も一切、
手を付けませんでした。
すると体重が32kgまで落ちます。
あとちょっとで30kgを切るとこまで。
その頃、全部を知っていた姉が心配して
かかりつけ医だけは
作っておいた方がいいと言い出しました。
アタシもいざというときのために
確かに医者は必要だと思ったので、
姉のカウンセラーに頼み、
紹介状を書いてもらいました。
場所は花小金井。
新宿からでは西武新宿から1本で行けますが
なんせ遠い!
それも駅前には商店街しかなく
病院も駅から遠い。
初めて行ったのは12月。
初回3時間待ち。
公立昭和病院はその辺りでは
大きな病院でたくさんの患者がいました。
精神科は産婦人科と循環器内科の間。
ソーシャルディスタンスも取れないし、
ひっきりなしに患者が増えていきます。
初めて主治医に会って、
事の顛末を話すと
涙が溢れていられなかったです。
すぐさまカウンセリングを勧められます。
カウンセリングは大宮。
これまた新宿から埼京線で1本でも遠い。
でも当時は病院に通う以外、
方法はありませんでした。
公立昭和病院は月1回。
最初はリーゼからスタート。
全然効かず、デパスに変更。
あと不眠を話し、
睡眠薬などが追加されました。
しばらく病院通いが続きました。
公立昭和病院には朝イチで行くので
大抵は調子が悪く、
点滴を打って、お薬を処方されて帰る
というのが常でした。
大宮の方は最初20分のカウンセリング
20分じゃ言いたいことも言えず、
とても戸惑い、言いたいことを
紙に書いていくようになります。
そんなこんなしている間に
1年の月日が流れてしまいました。
つづく