今まで10年以上、ボーダーの症状やパニック障害の症状に悩まされてきた。
希死念慮が強かった時期にはいつでも死ねるように練炭だって用意したし目貼りのテープも準備した。ODや断薬して自分が狂いそうな時期もあった。飛び降りのために階下の確認も怠らなかったし、電車が来れば吸い込まれそうになってしまうこともあった。
ボーダーの確定診断後、付き合っていた彼にウザがられ、夜中に何度も電話をしたこともあった。利用されるだけでもいい、そばにいて欲しい、もう一度愛して欲しいと彼の実家にまで行って、待ち伏せしたことすらあった。
不特定の男性との関係も、その場しのぎでも自分が必要とされてるなら応じたし、身体だけのセフレもいた。
ちょっとでも興味を持ってくれるなら、
「どーせボーダー。治りやしないんだし、身体なんでボロボロになったって構わない。いつ死んだっていいんだから」
と身を投げ出した。
心の底からひとりぼっちを噛み締めた。心の底から誰かに愛されたかった。心の底から抱きしめて欲しかった。
でも誰もいない。
自分は必要とされてない。
生きていても無駄だ。
でもアタシは死ななかった。
何故なら、そんな自暴自棄な行為をしても、悲しみ泣き続ける自分がいたからだ。自分に対して自暴自棄になっていても、こんな自分を想えるのは自分しかいないと腹をくくったからだ。
そこに辿り着くまでなんと8年の月日が必要だった。
離婚、別離、転移性の下肢麻痺。いくつもの要因がアタシを取り巻いたことで余計に時間がかかってしまったが、アタシはアタシを許すことにした。
自分を許すことは自分を認めることと同じ。どんな自分でも自分だけは自分を受け止めると決めたのだ。
他人の評価に流されてはいけない。他人には他人の尺度があり、その物指しで計られても、それは他人が思うことであり、本当の自分を表しているワケではない。それに、もうアタシたちは一般の物指しでは計れない枠に入ってしまったのだから、他人の評価なんて気にして傷付くことはないのだ。
あくまで自分の評価は自分で決めること。アタシたちは息をしているだけで十分頑張ってる。その気持ちでいいのだよ。自分を解放出来るようになれるまでは時間が必要なのだよ。
アタシはどうこう言わない。
ボーダーは元々、自殺完逐率も高いし、同じボーダーでも飲んでるお薬も違えば環境も違う。
でもたったひとつ共通しているのはアタシたちは常に愛情に飢えていることだ。それは裏返せば、自分が自分を愛してないからだ。
どんな自分でも愛せるようになるまでは時間がかかるもの。
慟哭の中から本当の自分を愛する力を養うのだ。
いつか腹をくくれる日が来る。