PMS最高潮!身体は常にベッドへ向かおうとしている。目は半目。モヤモヤモヤモヤ。生理は明日予定。生理直前までこのだるさは続くのだが、身体が生理態勢に入った途端、雨上がりの太陽のように、今までは嵐はなんだったの?ってほど、目が冴え、アタマも冴え、身体が一瞬楽になる。分かりやすいのぉ。それまではうだうだするしかない。

こうゆう時は大人しくしていればよい。ラッキーなことにウチにいれば良くも悪くもひとり。自分を左右させる外的要素はほぼゼロだ。アタシは今期やっと手に入れたラルフ・ローレンのガウンを着て座っていれば問題は起こらない。またこれがあたたかいのだ。おかげで電機座布団のみ、夜中以外暖房器具は一切必要ない。夏に比べ冬場の暖房代はバカにならない。1着のガウンで節約出来るのなら高い買い物ではないように思う。

昨日途中になっていた話の続きになるかどうかは分からないが、昨晩寝る前に考えていたことがある。
社会一般でアタシは働けませんと断言することには勇気が必要だ。非難とされる言葉に納得させるほどの理由を説明しなくてはならないからだ。

遡れば、記憶の始まり3歳から始まる。さすがに3歳からの話をすると長過ぎるのでざっくり言おう。
アタシはずっと違和感を感じていた。アタシは隣人と何かが違うと。何故、横並びにさせられるのか。同じことが出来ないと何故叱られるのか。とても腹立たしかった。
しかしずっと内部進学だったアタシはルールに従わなければ大学に進学出来ないことを知り、上手く交わす術を手に入れた。それが大学での自由でやっと自分が自分らしくいても良いのだと放たれた気持ちになった。
でも時すでに遅し。18歳までの人格形成段階でアタシの違和感は取り返しのつかないほどの歪みを作ってしまっていた。

それがボーダーという病気にたまたま当てはまって、自分が幼少から抱いていた違和感の理由を答えてくれた。
その答えこそ「社会適応能力の低さ」。
つまり、アタシには元々素養がないのだ。99%のひとが持ち合わせるであろう、働くという自然な行為が出来ないのはアタシのワガママではない。ピアノが弾けない、歌が歌えない、絵が描けない、文章が書けないと同じ。頑張っても出来ないことがある。それがアタシにとっては働くという行為。

と言っても分かってもらえないんだろう。

ひとはアタシをワガママという。
傲慢だと思っているひともいるだろう。
もうそう思わせておけばいい。今更覆るものでもない。
普通を生きられることは人生の日向の道を歩けることなのだ。それに感謝すべき。
内心でアタシをどう判断していようが、アタシには関係のないことだ。