今日もアタシの成り立ちおさらい
ちなみに今日も足が痛い



アタシのもうひとつのトラウマ

高3始まりの春
アタシは5番目の男と付き合い出した

1~4番目までもそれぞれ悲しい出来事があったけど結局は『気持ちが重い』と言われ、他に浮気されたり、別れたり、そんなことの繰り返し

でも、5番目の男はある意味違った
出会いは高1、3番目の男にダチなんだといって紹介された
それ以来、当時の溜まり場、渋谷プライムで会う度にお互い笑顔でペコリとしたもんだ

そして高2終わりの春休み、友達に誘われて行った飲み会に5番目はいた
当時、バブル全開!更に5番目が通っていた学校は全寮制の、主に帰国子女のケタ外れのマネー持ちがいる男子校(ちなみに5番目は帰国子女ではない)

二次会は浦安のシェラトンのスィートルームと言い出した時には驚いた!

しかしアタシには一次会で十分だった
改めて5番目を見た時、心で鐘が鳴ったから

鐘が鳴ったのは当時で二度目
一度目は1番目の彼
中3始まりの春、アタシは英語の成績が落ちたため、塾に通い始めた
個別指導のため、時間になるまで黙々と自分の勉強をする

その時、窓際にこちらに背を向けて、椅子には黒の革ジャン、短髪のひょろりとした男の子がチラリとこちらを向いた
その瞬間、もう何がなんだか分からないけど、心の中で鐘がキンコンカンコン鳴り出した!

ま、俗にいう、一目惚れです、ハイ

話を戻して、5番目をよくよく見たら、いきなり鐘が鳴り出したんですよ!
当時、門限があったので、ママに公衆電話から浦安に行くけど、ちゃんと12時前には帰ると伝え、いざ8人くらいでシェラトンへ

ビールやワインやら色々あったと思う…多分
アタシは妙にハイテンションでビールを飲んでたと思う
キンコンカンコン~♪5番目はアタシとほぼツーショット
でも、アタシは帰らなきゃならない
5番目が送ると言い出した
それも、タクシーで!!!!

結局、アタシ達はすぐ付き合い出した

しかし春休みはあっという間
5番目は木更津の寮に帰る日が来た
当時、出来たばかりの京葉線のホームまで見送り、毎日手紙を書き合うこと、毎日寮に電話をすること
ふたつの約束をして、次の週末まで待つことになった
携帯もメールもない時代はそんなもんです

ただ寮の電話は1回線のみ
アタシは時報を聞きながら、約束の時間22時に毎日、電話をした
たまに出遅れると、あとから公衆電話で掛かってきて怒られたもんだ

金土日はまるっきりデート
5番目の特徴はアタシに一銭も払わせない
アタシが欲しいものを見付けると、すぐその場で買ってしまう
5番目のお家は不動産屋
バブルのせいだけではなさそうだった

お互いに高校生最後の彼女、彼氏になるだろうね~ドキドキ
と甘い話をしていたんだが、付き合って1ヵ月が過ぎた頃、いきなり向こうから別れ話
何の予兆もなかった

アタシは5番目の並べる理由が全く理解出来なかった

そして電話は切られ、アタシは途方に暮れてしまった

同時に高校生最後の体育祭の準備があった
アタシは例に漏れず、応援団のひとり
しかし、アタシは何も手に付かず、ボケーッとしていたら、周囲から反感を買い、仲間外れにされた
応援団の連中はアタシがもっと積極的であるべきだと考えていたようですれ違いの毎日

学校にいても落ち着かない
プライベートはもぬけの殻
ウチにいる時は5番目のことを考えて、涙して
とうとう朝、目覚める度に、また1日が始まるのか…(o_ _)oと、フラフラ学校を休む時もあった(ウチの学校は私服だったので補導もされず)

そして、よく眠れないと、前回も登場した小児科医に話した…涙を堪えながら
多分、軽い安定剤だったんだと思う
処方通り飲んでも、効き目ゼロ
2週間後、再び訪れた時、書かれていた瓶には『抗うつ薬』の文字

その夜、アタシは処方された分、全部を一粒ずつ飲み干した
死にたかったんじゃない
悪夢みたいな毎日から逃れたかった

次の日、目覚めたのは午前10時ごろ
ママに叩き起こされたが、アタシは目覚めてしまったことにショック
大きなバッグに宝物を入れ、お年玉を全額持ち、ウチを出た
しかし、駅まで5分のところが数十分かかったと思う
何故なら、薬のせいで足元がフラフラだったから

もちろん、学校には行かなかった
アタシは浦安シェラトンに電話をし、あの時と同じスィートルームを予約した
名前は5番目の名字で、住所は適当に
当時、中間試験の3日前、一応、勉強道具を持ってきてて、スィートルームで家庭科の勉強
ヘンな取り合わせ

10階からの見晴らしは当時はただの海しかなく、真下はコンクリート
ここから飛び下りたら死ぬかな…とぼんやり考えた
岡田有希子の事件で飛び下りはメジャーだった

でもアタシは死にたいというより、自分の内なるものに因って左右される毎日から逃れたかった

階下の薬局に行き、ビスケットと睡眠薬が欲しいと言った
市販の安定剤を買い、部屋に戻った

18時になっても帰って来ないアタシを心配してるだろうと思い、ママに電話をした
ちなみにアタシの様子がおかしいのを気付いてて、放置したのはママが最初だった
だから、元ダンナがアタシを放置しても、とりわけ怒ることもなかったが、ね

ママは泣いてたと思う
泣きたいのはこっちだよ!
次の日帰ると約束して、電話を切った

早朝、チェックアウトをして、家路に着いた



その後も変わりはしなかった
何故、振られたのか、アタシのどこが悪かったのか
謎はその後もずーっと続いたが、大学の推薦入学やら、学校行事やらで致命傷はだんだん癒えていった

しかし、この時からアタシの心は明らかに変わった
愛することより愛される方が身のため、だと
その保身は今も大して変わっていない



当時、アタシはうつを発病したのは確か
小児科医の薬が理由ではない
うつの症状に当てはまる、無気力、不眠、脱力感などなど
まだ心療内科なんてない時代
統合失調症も精神分裂病と言われてた時代
精神科に行くなんて、恥曝しと思われてた時代だもの
アタシは自分なりに着けた決着が、男は身勝手、男を好きになっても捨てられるのがオチ
ならば、アタシを好きになる男と付き合おう!
と考え方を180度変えた



そして去年、昔からの友達と25年ぶりに再会した時、前から連絡先を友人から聞いておいた5番目に連絡し、20年ぶりに再会した
アタシが話し始めるとすぐ、
あー、昔と全然変わってない(怒)
このヒト、話し方おかしいでしょ?
何言ってんのか、みんな全然、分かんないでしょ?

???

大学教授のお嬢さんだからと思って付き合ったら、本人がワケの分かんないこと話すもんだから、参っちゃってさー

???

結局、アタシが振られた理由って、アタシの性格?
それを言うなら、お前こそ、ひどい性格してるぜ?

???



今なら解る
5番目のお父様は統合失調症だった
その姿を見て育った5番目は精神的な疾患に敏感に反応するんだな、と
どんなに隠してても、精神病患者は見るヒトによっては分かってしまう
統合失調症は遺伝的要素も免れないから、5番目も要素はあると思う
そうならないように、そーゆーヒトと関わらないように5番目なりに防衛してるんだなと思った

よく初めて会うヒトには、面白いねー!と言われるアタシ
その意味はアタシが普通じゃないからだと気付いた
アタシとボーダー
それは同義語

アタシは今でも自分がいつの段階で成長出来ず、そのままここまで来てしまったのか分からない

昔の日記を辿ったこともある
しかし、中学生の時に始めた自分だけの日記の1ページ目には既に、
『ここでは正直に書くこと』
と書かれており、推測では小学生の時には心を閉ざしていたことが判る

つまり、ボーダーの原点は小学生時代にあるということ

初めて発症したのが、前回の給食トラウマ
そして、5番目とのことで発症したうつ病
この時点でまたいつ発症してもおかしくない状況になっていたということは判明してる



今日はここまで




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