今年もあとわずか

 

今年は、まあ世の中的に言えば

大谷翔平で始まり、大谷翔平で終わった1年だった。

 

誰も成し遂げていないことを、次々に成し遂げていく姿は、


テレビを見ているだけでワクワクして楽しかった。


何せ、大谷翔平の年齢は、自分の2人の子供よりちょっとだけ年下でもあり、


余計に応援したくなる。

 

それで、最近興味深い話を耳にした。

 

もともと、大谷翔平は二刀流を目指していなかった、いうことらしい。

 

日本のプロ野球のドラフト会議といえば、


シーズン終了後の毎年10月終わり頃に開催される。


で、大谷選手、


高校時代に160キロを投げる注目の選手であったのだが、


高校から直接MLBに挑戦したいので日本球団には指名しないようにと強い意思表示をしていた。

 

当時、大谷選手がMLBに挑戦する大きな理由のひとつに、


「高校卒業からMLBに挑戦して大活躍した日本人選手はいなかった、


だから、そのパイオニアになりたい」と。

 

で、ほとんどの日本球団は指名しなかったのだが、、、

 

なんと、日本ハムフィイターズだけは1位に指名した。


まあ、当然に入団拒否、かと思われたのだが、、、

 

交渉の末に、日本ハムファイターズへの入団を決断することに。

 

いったい、何が、大谷選手の意思を変えたのか?

 

なんと、日本ハムファイターズが、


「二刀流伝説を作ろう」


と提案したということらしい。


知らなかったこととはいえ、


二刀流は大谷選手が考えていたことだとずっと思っていたので、かなり驚き。

 

だから、大谷選手は、「高校卒業からMLBに挑戦し一流のプレーヤーになる」より、


「二刀流でMLBの一流の選手になる」方が、


魅力的なパイオニア像に思ったことが、


心変わりした大きな理由とのこと。

 

誰も成し遂げていないことを成し遂げるパイオニアになりたい、というのは


きっと誰もが持っている欲求かと。


まあ、人生のどこかで、あかん、無理だと悟るのだが、、、

 

でも、大谷選手はずっと持ち続けて、次々に実現してみせる。


野球をしている時の大谷翔平は野球少年のようにいつも楽しそうに見えるし、


テレビで見ているこちらも楽しくなる。

 

これまで、世の中の多くの場面で、正しいとか正しくないとかが判断基準で用いられることが多い。


今回のダイハツの不正も、結局は正しい、というのを突き詰めるだけで


たぶん現場の技術者は決して楽しくなかったのではないか。

 

だから、仮に同じようなルーチンワークであっても、いかに楽しくできるか。


いかに自分の中で、意識的に楽しいものに変えていくのか、


が問われているような気がする。

(こういう時には、コーチングはピッタリなので、自分を呼んで欲しいな、なんて思ったりするのだが、、、)

 

自分で言えば、随分以前から、斎藤一人さんや小林正観さん等の講演や著作の影響もあって、


自分の人生において、生活、仕事も含めて、


どちらが正しいではなくて、


どちらが楽しい、


かで判断していることが多くなったし、


そうすると、ほぼほぼストレスにはならない。


友人と酒を飲むときも、よく同じ言葉を口にするようになった

 

やっぱ、どんなことでも、個人にとっての新たなことにチャレンジしている時が最も楽しい。


と感じるのは自分だけではないと思うが。


最後に一人さんの天国言葉

愛してます
ついてる
うれしい
楽しい
感謝してます
幸せ
ありがとう