21年目の軌跡~若手時代…バカバカしい事編~ | 井上貴子 オフィシャルブログ 「Marble...」 Powered by アメブロ

21年目の軌跡~若手時代…バカバカしい事編~

本日茨城県民の日

学生はお休みです

ちなみにウチの父親も休みでしたので

お母さんと3人でランチしてきましたっ^^


ハンバーグ専門店で
アタシはチキンソテーを^^

両親から『変わり者』扱い

だって
牛肉はちょっと…
今は…


目標達成したら食べようかな…


さて
若手時代


入寮の日
普段着で目黒区民になりました


翌日には4月だというのに大雪が降って
京子選手に雪かきを教えてもらったよ^^


実はその時代
流行っていたのはスニーカーで…

adidasとかケイパとかリーボックとか

同期のほとんどがそんなスニーカーを普通に履いてきた


『ねぇ知らないの?ブランドものは禁止なんだよ』

と親切に教えて頂いて


え?そーなの?
ぢゃあ何を履くの?

買うの?お金使うの?

みたいな…

Tシャツは白で無地ならブランドでも良かったみたい

ジャージなどもブランドはダメと教わりました


63年組は良く
ジャガーさんをはじめ
61年組(アジャコング選手やKAORU選手)の方々から

『貧乏臭い』とからかわれていたんですが


アタシ達
規則を守ってるだけなので

先輩が
話しかけてくれる事の方が重要でした^^


ある時
クラッシュギャルズさんのコンサートがあり

売り子で同行する際に
私服で…と言われて

靴がないことに気づきまして

正確には
あるけど履けない靴しかない


早速ノーブランドのスニーカーを買いに走りました

1900円くらいの
ダサダサな白いスニーカー(笑)


これに
61年組の先輩が大爆笑

『ちょっとソレ
真新しいけど持ってなかったの?』の問いに


『持ってるのは禁止のモノなので…』と普通に応えたら


皆さんの顔色が変わり
『え?ダメなの?誰が言ったの?』ってことになり

アタシらも初めて
『あ゛やばい』


チクることになるからねー

その場をどーしたかは詳しく覚えていませんが



今は
『63年から新しい規則が出来た』と言うことになってるらしい


それと
1年目はファンの人と口を聞いてはいけないと言う決まりがあります


もちろん
先輩ファンが聞きたいことがあったり渡してもらいたいものがあるときには話しますが


要は無駄話はしちゃいけない…と言うこと


でもね
自分で時間を作ってお金遣って会いに来てくれて


しかも一番下だから
先輩全員帰るまでは道場にいるわけ

それをずっとじーっと待ってくれてるのに

話せないって
客商売なのにおかしくない?

と実は最初から思っていて

その当時は
手紙をもらったり
ギフトを持ってきてくれたり…
女の子が多かった

一言でも話してあげたいなと思っていました


事情を知ってる常連だと

こっそり隠れてて
先輩が居なくなってから
サッさと差し入れてくれて帰ったり…


申し訳なかったよね


そんなアタシなので
(生意気ってことだよ)

先輩ファンからの
親切な告げ口で
先輩から怒られました

何度かね


でも
やっぱりおかしいでしょ
応援する側は誰を応援するも自由だし


それに応えるのが
『プロ』ぢゃーん?


とうとう
『アンタがもらった手紙全部ココに持ってきな』


当時は携帯も手紙もないから友達や親とも手紙のやり取りをしていて


ファンレターも
全部保管場所は一緒にしていたので…

全部見られることになる



慌てただろ?貴子!


と思うでしょ?(笑)


それがさぁ

あまりにも理不尽な事が続くので…
(髪とかすなーとかピンクの靴下履くなーとかね)


もしかして
手紙見せろとか言われるんぢゃなかろーか?

いや
まさか
そこまではしないよな
プライベートだし


いや
わからん
あの人ならわからん

やるかも…

やるだろーな

っと言うことで
親や友達などと分けて


いつも手紙をくれるファンの子からのも分けて


当たり障りのない手紙だけにしといたの


あらかじめ区分けしておいた矢先の出来事だったので

寮に戻ってからは
ホッと胸を撫で下ろしました…


寮はアタシ達の住まいですが…

結構休憩時間に使われていて

勝手に雑誌やらテレビやら使われていたので

寮に居ないときは鍵をかけなさいと会社の方から言われていても


それは通用せず


会社のある方から
『危ないからお財布は毎日預かっておくし
見られたくないものはココに置いておきなさい』と言ってくれた方がいて…


無くなるモノは
アタシは
ありませんでしたが


ゴミ箱はいつも山のようになっていたし


床掃除も
かかさずやらないと…
と言うくらい汚かった

そんな人間扱いされない若手時代


何がアタシの支えだったかと言うと


『アタシ有名人になるから』とタンカきって茨城県を飛び出してきたので


親はもちろんだけど

友達が『井上貴子』を自慢に思ってくれるプロレスラーになるまでは


茨城県に顔出せない


と…


ソレが一番


ソレだけを思って
厳しいトレーニングに耐え

嫌なことが次々と訪れてくる中


もっともっと
大切な事に気づかされた事がありました…


『80'sアイドル編』に続く