『僅かな光が力になること』 | 加藤貴子オフィシャルブログ「UCKY SMILE」Powered by Ameba

『僅かな光が力になること』

たくさんのコメント、そしてお辛い体験を丁寧に書いてお寄せいただき、ありがとうございました。


皆さんの体験談を、

この先誰もこのような辛い思いをすることがないように…

心ある対応をしてくれる医師との出会いがありますように…

願いながら拝見させていただきました。



お医者さんの側にも、それぞれの理由や状況があるとは思います。

でも、身体も心も弱った患者やその家族は、医師の一言で、生きる希望や病と闘う力が湧くことが多々あります。


逆も然りです。


不用意な一言で、傷がさらに深くえぐられてしまうこともあります。


医療従事者の方々には、その事をいつも念頭に置いていただけると、それは患者や家族にとって、絶望に打ちのめされず、また一歩踏み出す希望の光となる一言に、なるかもしれません。

病に屈せず闘うためにも、あるいは病を受け容れ、病とともに歩み続けるためにも、医療従事者の方々のあたたかいご配慮が必要だと思います。



一方、コメントに

「コミュニケーションは大切です。高齢の母は、さまざまなお医者さんと接していますが、『話を聞いてくれない医者は信用できない』と言っています。その通りだと思います。
一方、母を含め、知人の多くが医者の言うことを無視しています。言われたとおりに薬を飲まない、などなど。

コミュニケーションというのは本当に大切で、医師はプロとして努力が求められるのはもちろんですが、患者もプロとしての医師を尊重する姿勢が重要だなと日々感じています」

というご意見もいただきました。


ありがとうございます。



最後に、

父に告知をした時の、私の体験を話させてください。


19年前の話です。


父は時々襲ってくる背中と腹部の激痛を訴えて、入院しました。

ドクターから家族に

「末期の癌で現在の状況だと最悪2週間。もって余命3か月。治療法はないので、落ち着いたら退院してください。」

と宣告されました。

医師とのすったもんだはありましたが、幸運にも最悪な事態は免れたので、一旦落ち着いた父を家に連れて帰ってきました。


本人に告知をするか否か…


病名を伝えるだけでも酷なことなのに、治療法もなく余命3か月なんて…


毎晩のように家族で話し合いながら、父の状態でも治療してくれる病院を必死で探しました。


たとえ余命3ヶ月でも手を尽くしたい…。

いや、3ヶ月なんかじゃ死なせない!

でも、お父さんにとって何がベストなの?

治療?ホスピス?


「このままじゃお父さんが死んじゃう」


次々湧く不安や怒りはとめどなく、頭はネガティブな思考で埋め尽くされ、希望を抱けないまま、ただただいたずらに時間が過ぎていたとき…

普段からメンタルの支えになってくれている友達から

「まずは家族が、『告知=死の宣告』という視点からいったん距離をとって、これからのおじさんとの時間をおじさんとどのように一緒に過ごしたいか、共に生きたいか、を伝えるために告知したら?
きっとおじさんは、自分の残された時間の生き方は、自分自身で選択したいと思うんじゃないかな~」


目から鱗でした。

死を前にして、どのように死を迎えるか?どのように過ごすか?しかなかった私。


『どのように生きるか?』


このような前向きな思考はありませんでした。


『生きる』


ちょっとした発想で、パズルのピースを変えただけで、ネガティブな思考に縛られ切っている時間が減って、みるみる力のようなものまで、湧いてきました。


家族にも伝えました。


今思えば…

私たち家族がネガティブな思考に落ち込んでいない状態での父への告知は、父の不安や絶望を多少なりともやわらげ、包み、これからどのように生きるかを一緒に考える『家族の一歩』を、皆で踏み出すきっかけになったように思えます。


思考の闇に射した僅かな光を手探りでたぐり寄せ、そこから少しずつ少しずつ、事態が好転していきました。


そして偶然にもその後、末期の肝臓癌の治療をしている病院をテレビで見た、という情報が知人から寄せられました。

治療法は、血管にカテーテルを入れて、癌に直接抗がん剤を当てて、癌を小さくしていく、というやり方。

除去手術よりも、注射による抗がん剤よりも、負担が少ない方法でした。

肝硬変も患っていた父でしたが、その病院に問い合わせたら、一緒に治療法を考えてくれるお返事をもらえました。

実家の清水からは2県股がった、片道3時間の場所で、しかも入院は1ヶ月半も先。


それでも、私たち家族には光でした。


相変わらず死の影を感じずにはいられませんでしたが、不安や恐れや怒りは、常に家族が一丸となって消化し、時には打破して、

どう一緒に生きていくか?

にスポットをあて続けて、父と過ごしました。
たとえどんな小さな光でも、そこに希望が見えたら、それは大きな力になり得ることを実感した日々でした。


入院するときは、ワゴンに布団を敷いて寝かせながら、5時間かけて父を移動しましたが、1ヶ月後の退院時には、歩けるほどに回復。

その後も抗がん剤を直接当てるために入退院を繰り返しましたが、結果1年半延命出来ました。

姉の結婚式にも参加出来て、初孫の顔も見れて、他界する1ヶ月前は、三度の飯よりも大好きな鮎釣りの解禁にも参加することが出来ました。


もちろん、

「もっと何かできたのでは?」

と後悔は残ります。

ですが、余命3ヶ月の宣告からは、私たち家族にとって奇跡の日々でした。


父は本当に頑張ってくれました。


そしてこの期間で父は、私たち家族に、『生と死』を身をもって教えてくれました。




自分や家族が病気になると、ネガティブな思考の闇に引っ張られてしまいますが、どうか皆さんに、僅かでも手がかりとなる光が、一日も早く射すことを、心より祈らせていただきます。





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